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「費府の飛行士」の部屋3

山本五十六は愚将ではなく亡国の輩だった(その1)

 よく陸軍の暴走により負けがわかっている戦争に無謀にも突き進んだ、という見方があるが、実は勝てる戦争のシナリオが陸軍で作成されていた。それを破壊し無謀にも東進しアメリカとの太平洋戦争に向けて強行突破したのが山本五十六でした。しかも天皇陛下を含め、アメリカとは戦争をしないという方針が出ていたのをひっくり返し東進し真珠湾攻撃を主張したのは山元五十六だったということを忘れてはいけません。アメリカと戦うメリットはなかったのですから。なぜそうしたのか?以下をご覧下さい。

 山本五十六は愚将ではなく亡国の輩だった(その1)

 山本五十六は愚将ではなく亡国の輩だったー大東亜戦争ではなく太平洋戦争へのレールを敷いた近衛文麿、天皇陛下と東條英機の非戦の努力を強行突破した山本五十六(その1)

 戦後の「歴史」では近衛文麿の野望は隠蔽され、東條英機に戦争責任を押し付け山本五十六を褒め称えるかのような記述が多いようだ。しかし、従来埋もれていた、あるいは見逃されていた史実を一次資料を丹念に掘り出し分析した林千勝氏の著作、「近衛文麿 野望と挫折、WAC」を読めば異なる情景が浮かんでくる。(因みに膨大な引用文献は全て巻末に示されている)敬称略

 大本営では北進しソ連と戦う計画であったが、近衛首相と側近で共産主義者の風見章が必死になって北進を阻止、南進を主張(昭和16年6月25日から7月1日)、7月16日第二次近衛内閣を総辞職し、7月18日に反対していた松岡外相を外し第三次近衛内閣を組織、直ちに南部仏印進駐を通告した。7月25日それを受けてアメリカは日本資産を凍結し石油禁輸、日米対決の図式を作り出した。そしてソ連は兵力を独ソ戦に集中させることができた。北進していればいくらルーズベルトと雖も共産主義国を攻撃する日本への制裁の大義は立たず、且つソ連は独ソ、日ソ両面での戦いを強いられることになっていたのを避けさせることになった。

 よく陸軍の暴走により負けがわかっている戦争に無謀にも突き進んだ、という見方があるが、実は勝てる戦争のシナリオが陸軍で作成されていた。それを破壊し無謀にも東進しアメリカとの太平洋戦争に向けて強行突破したのが山本五十六だった。

 勝てる戦争のシナリオというのは陸軍の所謂秋丸機関が作成した戦争戦略で、後にチャーチルがこれをやられていたら日本が勝っていただろうと言った作戦だ。その概要は以下の通り(北進を阻止された状況を踏まえたもの):
 アメリカとの総力戦はしない。アメリカとは思想戰(黒人工作、米国の極東政策批判、日本と米国民の敵はグローバリズム)/限定戦
 南進して石油確保は行うがあくまでも戦争範囲は大東亜共栄圏の内側。
 西進しインド洋の制海権を抑え、イギリスの輸送路を遮断しイギリスのアジアでの植民地を封鎖陥落
 大西洋の英米輸送路はドイツが遮断
 インドネシアからの石油確保の必要上一時的にフィリピンは占領するが米国と争わない為親米政権をそのままにし返還
 緒戦や短期戦なら日本優位、短期間に資源地帯を占領可能
 早期に連合国と講和し広域経済圏を確立すれば東アジアにおいて日本が負けないシナリオとなる。米国との総力戦は避ける。

 しかし、近衛文麿は戦争へのレールを敷き終えた後9月から風邪を理由に休養し内閣を投げ出した。16年10月中旬木戸内大臣と会い後継首相は東條英機と指名し、戦争責任を東條英機に押し付けた。
 10月18日の鳩山一郎の記述:「東條に大命降下せりと。近衛は逆賊と歴史は断ずるや。近衛、木戸の所謂ブロックは遂に日本をどこまで引きずるのであろう。」鳩山は近衛の野望を見抜いていたようだ。

陛下と東條首相の非戦の決意
 陸軍大臣だった東條英機は首相の他、陸軍大臣(主戦派の抑えつけ)、内相(国内好戦派の抑えつけ)を兼務し主戦派を押さえつけ戦争にならないような努力をしていたようだが、マスコミに踊らされた政治家や民衆は米国撃つべしのプロパガンダに乗せられていったようだ。
昭和16年11月17日臨時議会
 東條首相:「日本が期するところは東洋平和の祈念である。」
 島田議員(全会派代表):「正義を蹂躙し独立を脅威し進路を遮断しているのが米国。ここまで来ればやるしかない」
鳩山一郎/真崎甚三郎将軍:「日米開戦せば、日本は共産主義に陥るべしと観測しあり。敗戦革命も懸念される。」「その通りだ」:両者共近衛文麿の意図をよくわかっていた。

 しかし、この時点では戦争をしたがっているのはルーズベルト大統領であり、アメリカ国民、アメリカ議会は戦争反対だった。日本の国民や議会がプロパガンダで主戦論に火がつけられても日米戦争が起こる状況ではなかった。決定的に必要なのは、アメリカ国民の中で日本撃つべしという世論に変わらなければ日米戦争は起こらないはずだった。

 それを決定的に変えたのが山本五十六が恫喝を交えて強硬に主張し、陛下の非戦の御諚を無視して強行した真珠湾奇襲攻撃であった。だが奇襲ではなく全て米国に筒抜けだった。ともあれこれにより米国世論が日本撃つべしに変化し、近衛文麿、ルーズベルト、ウオール街、ソ連のシナリオ通りにことが進むことになった。

 山本五十六の行ったことにより、米国参戦、日米総力戦突入、日本の西進阻止が実現された。
 林千勝:亡国将軍と暴走ヒットマンによる亡国且つ人類最大級の愚策が真珠湾攻撃。日本にとり何のメリットもない愚策をやらかした。国際金融資本やルーズベルトの意向に沿ったものだった。
 山本五十六や永野修身とアメリカとの関わりは次回その2に続く

山本五十六は愚将ではなく亡国の輩だった(その2完結)

 山本五十六は愚将ではなく亡国の輩だったー大東亜戦争ではなく太平洋戦争へのレールを敷いた近衛文麿、天皇陛下と東條英機の非戦の努力を強行突破した山本五十六(その2完結)
 (承前)

 軍令部総長の永野修身も山本五十六もハーバード留学組だった。永野修身:1913〜14、山本五十六:1919〜20(語学研修)

 林千勝:この時代から国際金融資本の影響を受けていたかのようだ。真珠湾攻撃に反対する意見は多かったが、その度に山本五十六は「固い信念」だとして真珠湾攻撃を「職を賭す」と主張した。連合艦隊司令長官を辞められては困るとして永野修身はそれをのみ、任期切れの山本五十六を再任した。南進して石油を確保するのにも連合艦隊の力が必要で山本の協力がなければ大東亜戦争の準備もできない。

 永野の下で山本の「固い信念」という恫喝で醸成した空気が大本営の理に勝った。山本は昭和16年の秋に連合艦隊を人質にとって陸海軍全体を脅迫し真珠湾奇襲を勝ち取ったといえよう。
 昭和15年11月下旬:山本が及川海相に真珠湾奇襲を口頭進言
      12月:連合艦隊が真珠湾奇襲決定
 昭和16年1月:山本が及川海相宛の手紙で米国戦意喪失論ーーー米国のグルー大使が本国へ真珠湾奇襲の噂を報告
      5月:山本が真珠湾奇襲の準備本格化
      8月:軍令部、海軍省、陸軍省、参謀本部の中枢に真珠湾奇襲構想が伝わる。正式会議ではなく山本は「固い信念」と恫喝で空気を醸成し軍令部を追い込んでいき、山本再任。
      9月12日:山本が近衛首相に「1年や1年半は存分に暴れてご覧に入れます。しかしそれから先は全く保証できない」
      9月中旬:海軍大学校において図上演習
           ゾルゲが真珠湾攻撃計画を本国へ報告、日本の暗号電報解読と重ね確信したソ連は兵力を満洲から独ソ戦に集中
      9月〜10月:海軍内、機動部隊で反対多数。南雲第一航空艦隊司令長官、草鹿参謀長以下全員、大西第11航空艦隊参謀長が反対。ーーーー 山本が「固い信念」を表明:幹部を甲板に集め、自分は真珠湾奇襲をやる、嫌なら艦を降りろと言った。西進し短期間に勝利するシナリオをぶち壊した。
  昭和16年4月17日:密かに真珠湾奇襲が企図されている中、朝日新聞論説委員を含む昭和研究会主要メンバー(共産主義者で近衛の側近風見章や尾崎秀実と通じているグループ)など12人の左翼言論人、学者グループを山本長官は戦艦長門に招待した。(目的や何を語ったかは不明)

 昭和16年9月末:航空艦隊首脳部との打ち合わせ。航空艦隊参謀長大西滝治郎:「日米戦では武力で米国を屈服させることは不可能である。」「対米戦に突入する以上、当然戦争の早期終結を考えねばならず、それにはある一点で妥協する必要がある。その為にはフィリピンんをやっても構わないが(一旦占領はするが親米政権をそのままにしてすぐに返還する)、ハワイ攻撃のようなアメリカを強く刺激する作戦だけは避けるべきだ」

 林千勝:大東亜戦争の目的は自存自衛。しかも大東亜共栄圏の中に限定し短期に終わらすのが肝。東進してハワイに攻め込むことは戦略的にも何らメリットがない愚策。中部太平洋への覇権拡大は元々意図されていなかった。
      9月24日:山本が「職を賭する」を軍令部に伝達:第一回目
      9月29日:大本営陸海軍部でハワイ攻撃を認めない「戦争指導要綱」を正式決定
      9月末:永野軍令部総長が真珠湾奇襲を条件付き承認
     10月3日:草鹿、大西両参謀長が反対表明ーーー山本が「固い信念」「職を賭す」を表明:第二回目

     10月17日:天皇陛下が戦争計画の白紙還元の御諚:東條英機の非戦の努力
     10月19日:それにも関わらず山本が「職を賭す」を軍令部に伝達:第三回目。天皇陛下の御諚に背いた。永野軍令部総長が内定、翌日陸相に伝達。(陸軍は南信に海軍の助力が必要。「職を賭す」は脅迫
     10月29日:連合艦隊で内示
     11月3日:永野軍令部総長が12月8日ハワイ攻撃を上奏
     11月5日:軍務局、作戦部の反対を抑え、軍令部正式決定   
     11月15日:大本営政府連絡会議でハワイ攻撃を認めない「腹案」を正式決定
     11月25日:連合艦隊司令長官に作戦準備命令
     12月1日:御前会議

 林千勝:永野氏は海軍省や軍令部と共に真珠湾攻撃が国益に反すると分かっていた(その証言もある)。昭和16年8月の連合艦隊司令長官の任期切れで山本が更迭されなかったこと、山本の恫喝、脅迫と暴走を許したことは何を意味するのか? まさか、永野は国際金融資本の意向に沿った動きをしたのか? 指示?忖度?無意識? わからない。今後分析されるべき。
 事実としては彼らの意向に沿った動きを永野も山本もしており、しかもそのことによってアメリカの対日戦世論に火をつけ、日本の戦勝の確率を極端に低くした。ミッドウェーの海戦によりさらに低くしてしまった。

 近衛文麿について
  昭和16年12月8日:「とうとうやったね。僕は悲惨な敗北を実感する。こんな有様は初めのうちだけだろう。1年目はいいが2年目から悪くなる。(近衛のシナリオ通り)」ーーー近衛の秘書細川護貞が記録
 牛場友彦(近衛の秘書):「公家の血ですよ。これは本当に常人と違うからな。それは冷酷なこと、とことん冷酷、僻みが強いという点もありますよそれは。 あんちくしょうなんてーーー あの目がいかん、近衛さんの目が。蛇のような目ですよ、あれね」
 巣鴨プリズンで陸軍の武藤章:「ーーーー昭和の御代となるに従い明治の老臣は滅び、公卿又は公卿化された人々が天皇陛下の周りに集まった。彼らはある勢力をある勢力と争わせて、その間に漁夫の利を占めることを能とする。日本の歴史は公卿の罪悪を隠蔽して武家の罪のみを挙示する傾きがある。大東亜戦争の責任も軍人のみが負うこととなったーーー」(完結)

附録「費府の飛行士」のコメント

 「山本五十六は愚将だった」という表現は林千勝さんによる極めて遠慮した表現だろうと思います。日本の北進をぶっ潰しソ連を安心させることになった近衛文麿との繋がり、密かに真珠湾奇襲が企図されている中、朝日新聞論説委員を含む昭和研究会主要メンバー(共産主義者で近衛の側近風見章や尾崎秀実と通じているグループ)など12人の左翼言論人、学者グループを山本長官は戦艦長門に招待したこと、この連中と繋がっていたゾルゲが真珠湾攻撃計画を本国へ報告、日本の暗号電報解読と重ね確信したソ連は兵力を満洲から独ソ戦に集中できたこと、山本もハーバード留学組であること、GHQのWGIPで東條英機始め陸軍は貶められ山本五十六や海軍を誉めそやす教育がなされたこと等を繋げればある景色が見えてきます。今流のわかりやすい言葉で言えば、ディープステートとの繋がりです。真珠湾を攻撃すればアメリカは戦意を喪失するという「米国戦意喪失論ー米国のグルー大使が本国へ真珠湾奇襲の噂を報告」を唱えたほかは真珠湾攻撃の必要性は説明せず、問われると「固い信念」、更には真珠湾攻撃を「職を賭す」(俺の主張が認められなければ連合艦隊司令長官を辞めるがそれで良いのかという脅し)で日本の戦略を歪めたこと、ミッドウェーの不可思議な敗戦、これらは愚将のやったことではなくある使命を帯びてやったと見た方がスッキリ理解できます。
 ともあれ林千勝さんの「近衛文麿 野望と挫折、WAC」をご覧下さい。近衛文麿が自殺したのではないこともお分かりになるでしょう。

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