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言えるで。日本とは、天皇を中心にして国民が皆、一つの家族のように仲良く助け合って暮らす国。


 私は日頃、産経新聞も含めて「マスゴミ」と揶揄していますが、それでもまだ産経新聞は取っています。媒体(メディア)として、外部の人の記事も載せるからです。今日は皇統の話ですが、産経は唯一の保守っぽい新聞なのでまだマシなのですが、それでも平気で「悠仁さま」とか書いてる時点で「ゴミ」ですね(笑)。

 昨日(5/20)の産経新聞大阪版の夕刊に【考・皇統(上)】という記事がありました。東京版ではもっと早うに出てたんかな?(下)は来週、掲載予定やそうです。
(上)北畠親房、会沢正志斎、皇室をドライに割り切る思想家が皇位継承論じれば
(下)天皇の弁護人、葦津珍彦の思想に従えば…皇統に属する男系男子を皇族に

(上)は早大非常勤講師の、大場一央(おおば・かずお)さん、
(下)は思想家、憲法・皇室法研究家の、田尾憲男(たお・のりお)さん
の記事です。今まで知らんかった人を知ることができるのも、わずかに残った(笑)新聞のええとこですね。当たり前ですが、たとえば大場さんは眞子内親王殿下と書いてはりますし、田尾さんも悠仁親王殿下と書いてはりますね。

 大場さんは41歳とお若いです(私からみたら笑)。文章はめっちゃわかりやすいですね。北畠親房(きたばたけ・ちかふさ)が著した『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』の書き出しが「大日本国神国也(おおやまとはかみのくになり)」と始まることを教えてくれはりました。知ってる人には常識なんでしょうが、森元首相が「日本は神の国」と言うて引きずり降ろされたことを思い出しました。

 大場さんの主張は、私ら今の日本人はつい、天皇の「お言葉」とか「お気持ち」を、それこそ「忖度」すべきやと考えがちやけど、それは間違いの元や、と言うてはります。そこでまず北畠親房の考えを教えてくれはります。

 親房にとって、天皇は護持対象であると同時に、批判対象でもあった。天皇が役割を果たせなければ秩序が乱れるからだ。事実、親房は生涯にわたって、そんな混乱に翻弄され続けた。
 社会の役割配分という朝廷の機能を復興し、その中で、それらを司るという役割をただひたすらに果たすという天皇像を提示した。そこでは、親しみや「お気持ち」は必要とされない。

 そしてその考えを引き継いだのが、江戸時代後期に勃興した「水戸学」の中心人物、会沢正志斎(あいざわ・せいしさい)なんやそうです。その考えは、「天皇は天皇として、果たすべき役割に徹しなければならない」ということやそうです。

 会沢は、皇室による生々しい意思表明や、下々の忖度が、ひいては「役割に徹する天皇」というシステムを改変することにつながるとして、徹底して警戒していた。

 江戸時代の人の考え方の方が、よっぽど真っ直ぐで、すっきりしてるやんか。

 親房や会沢が、仮に今日の皇位継承問題を論じればどうなるか。古来より男系の継承と定まっているのだから、あらゆる一切の感情を排し、秋篠宮殿下、そして悠仁親王殿下へと淡々と受け継がれていく。ただそれだけの話だ、と一刀両断するだろう。むしろ関心は、継承先ではなく、継承し得る男系男子が絶えかねない状況を招いたことに向かうのではないか。

 あはは、継承順なんかもう決まってるやんか、という話ですね。そして大場さんの主張は「家」の問題に突き当たります。

 個人主義を徹底させて「家」を否定し、社会での役割分担意識を解体し続けたのが戦後体制-その淵源は明治維新にまで遡(さかのぼ)れる-だ。価値観の母胎であった「家」が挑戦を受け続けて、それを完全に退けられずにいた結果、皇室でさえ、継承問題が生じたといえる。

 ひとり皇室だけの問題やのうて、日本人の「家」に関わる問題なわけですね。そして(下)の田尾憲男さんの記事です。「天皇の弁護人」を自任した思想家、葦津珍彦(あしづ・うずひこ)さんの話から始めてはります。

 敗戦直後の占領下で、「神道の社会的防衛者」を自任した葦津は、連合国軍総司令部(GHQ)による厳しい抑圧と破壊から神道と神社を守るため、早くから当時の神社界の指導者らに対策と団結を訴えた。これが、後の神社本庁設立につながり、自らは本庁の機関紙を発行する「神社新報社」を設立し、主幹となった。論争を「文による実戦」と確信する葦津は、実証的な歴史に裏付けられた客観的な分析と、鋭い論理で論陣を張った。

 へえー、GHQ支配下でも、こんなスゴい人がいてはったんですね。まだまだ勉強せなあかんことはいっぱいあるわ。田尾さんは、葦津珍彦の主張の根幹を、わかりやすく書いてくれてはります。

 およそ、目的意識を明らかにし、人工的に作り上げられたものは、その存在理由が明瞭である。一方、自然発生的に現れてきたものの価値は、分かりにくい。国語(日本語)などはその典型である。なぜ存在せねばならないのか説明せよと言われても、これは極めて難しい。だからといって、英語に変えていいとはなるまい。
 天皇を中核として形成されてきた日本国も、同じだ。これは特定の理論があって初めて存在するのではなく、無限無数の人々の経験と英知に基づいて成長してきたといえるだろう。

 ははあ、つまりは「説明がつかへん」のや、「ずっと続いて来た」んや、としか言いようがないんやと言うことですね。皇位継承に関する具体的な話はぜひ、リンク先で読んでください。「女系」やら「女性なんたら」の話はもう、論外、どこにも出て来やへんで、という話ですね(笑)。

 つい7~8年前に「覚醒」したばっかりの私でも、次のことは言えるようになりました。
■日本とはどういう国ですか?
「日本とは、天皇を中心にして国民が皆、一つの家族のように仲良く助け合って暮らす国です」
■天皇とは何ですか?
「天皇は国民のことを『おほみたから(自分の大切な宝)』と呼び、四六時中、国安かれ、民安かれとお祈りされているお方です」

 こんなありがたい国に、私ら日本人は暮らしているわけですね。この幸せを、私ら日本人はこれからも、ぜっっっったいに守らなあかんと、しっかり覚悟を決めることにしましょう。

【文中リンク先URL】
https://special.sankei.com/f/politics/article/20210504/0001.html?307526
https://special.sankei.com/f/politics/article/20210505/0001.html


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