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小林一三翁が草葉の陰で泣いてはるで「海行かば」歌唱中止、宝塚。またあいつらの仕業やな。

 実は私は、連れ合い共々、宝塚歌劇のファンです(笑)。ところがつい最近、少しショックなことが起こりました。メインの劇場である「大劇場」での公演は、今回は宙組(そらぐみ)の回で、新トップスターの桜木みなとさんの「お披露目公演」になります。それが9/13から始まっていて、めっちゃ楽しみにしていました。

 大劇場では大体いつも、お芝居とショーの構成になるんですが、そのショーで、桜木みなとさんが、「海ゆかば」を歌ってはったんです。これは絶対聞きたい、と思っていたのですが何と、公演開始から10日後に突然、「歌唱」なしの演奏だけになり、11月からの東京公演では、「楽曲」も「差し替え」ることになった、と発表されたんです(宙組公演『BAYSIDE STAR』の一部演出の変更について)。

 書き出すと、本1冊にでもなりますから控えますが、桜木みなとさんは横浜の出身、横浜と言えは海軍、海軍と言えば「海行かば」でしょう、ということで作・演出の齋藤吉正さんが組み立ててくれはったんやと思います。ただ、宝塚の宙組はちょっといろいろあったので、文字通り、苦渋の決断やったと思いますね。

 それでも創設者の小林一三翁は、草葉の陰で泣いてはるんとちゃいますか。昭和32年に没した翁にしたら、もう考えられへんことやろなあ、とめっちゃ残念ですね。

 まあどうせ、「あいつら」が、文句を付けて来たんやと思われます。めっちゃハラ立ちますが、芸能、興行関係はけっこうサヨクが強いので、辛いところです。ここで劇団を責めるのもなあ、とも思います。それより私は前向きに、たった9日間でも、この日本の超メジャーな劇場で、堂々と「海行かば」が歌われたことを喜んでもええんかな、と思いました。

 実は私は恥ずかしながら「海行かば」は、「覚醒」するまで知りませんでした。私の両親は昭和一桁後半世代、母親は教科書に墨を塗ったことを嬉しそうに話していましたし、父親は当時中学生で、戦地は知りません。連れ合いの父親はシベリア抑留組ですから、むしろ軍歌をよく知ってます。あ、「海行かば」は軍歌ではなく、第二国歌ですね。

 なので私はエラそうなことは言えませんが、日本が戦後GHQに奪われたものは、まだまだいっぱい残っていると認識せなあきませんね。でももうそろそろ、時代は変わる、いや、変えて行かなあきませんね。そこでふと、早田ひなさんのことを思い出しました(早田ひな選手「特攻資料館に行きたい」発言、地元は感慨「隊員の遺書見に来るきっかけに」)。

 早田選手は13日、帰国後の記者会見で「今やりたいこと」を問われた際、「(横浜市や神戸市などにある複合施設)『アンパンマンミュージアム』でポーチを作りたい」と述べた上で、「鹿児島の特攻資料館に行き、生きていること、そして、卓球が当たり前にできていることが、当たり前ではないというのを感じたいなと思い、行ってみたい」と語っていた。

パリ五輪から帰国し記者会見する卓球女子の早田ひな選手=13日午後、東京都港区

 まあこの時も「あいつら」は大騒ぎでしたが、むしろ若い人たちは、自然にそう考えていることが新鮮でしたね。それを意識するようにして行かんとあかんな、とも思いますね。まだまだ敵はいっぱいいますね。遅くにやっと「覚醒」した私ら大人(老人)は、しっかり意識して戦って行きましょう。


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