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一国の首相に殺害予告した人物はさっさと追放や。そろそろ見納めやで習近平の「戦狼外交」。

 いやあ、拙ブログの読者さんの方が情報が早くてカタなしですわ(笑)。「戦略的曖昧さ」について昨日書いたら、その前の日のコメント欄で「taiekijieikan」さんがきっちり書いてくれてはりました。そして、今日これから書こうと思ってたことを「コブシ」さんが書いてはりました(笑)。遠藤健太郎さんのブログですね。

 ま、同じ話でも許してください。みんな同じこと考えるんやなあ、でええと思いますし。何と言うてもこの写真が強烈でしたね。

中国外務省の劉勁松アジア局長(手前右)との協議を終えた日本外務省の金井正彰アジア大洋州局長(同左)=18日、北京(共同)

 全世界で多くの人がこの写真に啞然としていますね(笑)。やっぱりチンピラやくざですね。文明国の外交官とちゃうで。そして、何と金井局長は、わざわざ言い訳をしに行ったのではなくて、元々日中間で毎月、交代でこの二人は対話会議?をしていて、今回はたまたま北京に行く回やた、と茂木外相は言うてました、と。

 ははあ、またマスゴミに乗せられたらあきませんね。繰り返します。わざわざ説明しに(言い訳しに)行ったわけではない、と。そしたら早速、今日(11/19)の産経「正論」で楊海英さんが分析、説明してくれてはりました(歴史が示す「戦狼外交」の本質)。

楊海英氏(寺河内美奈撮影)

 今回のことは何も珍しいことではなくて、いつもの中華人民共和国の「戦狼外交」そのものやというわけですね。いくつかの歴史の事例を教えてくれてはります。まず「中国・内モンゴル自治区のフルンボイル草原にあるハイラル市駅」で、「1966年9月3日、紅衛兵たちは中国語とロシア語、それにモンゴル語からなる『ソ連共産党の裏切り行為を9回にわたって批評する』というパンフレットをソ連の列車に投げ込んだ」と。

 つまりは毛沢東が発動した文化大革命の最初の頃ですね。この、国際儀礼を無視して乱暴狼藉を働いた紅衛兵たちを、

中国政府はわざわざ飛行機を飛ばして北京まで連れ帰った。
 「あなたたちは反修正主義の若き英雄だ」と周恩来首相は最大の賛辞を贈り、同9月15日、「偉大な領袖(りょうしゅう)、毛沢東」の接見を受けた。

 つまり、戦狼外交は毛沢東時代から始まってたんですね。何と、

中国では彼らを「狼(オオカミ)の乳を飲んで育った世代」と位置づけている。その後の世代が薛剣氏である。

 これ以後、同じような話はいっぱいあって、香港でも騒動を起こしていた話も書いてはります。そして最後に

極端な民族主義を鼓舞することで育成された「戦狼」は一人や二人ではない。今日の中国人民のほとんどが反日の思想を胸中に潜めて日本で跋扈(ばっこ)しているのも、愛国主義という「狼の乳」が遺伝子のように沁(し)み込んでいるからである。戦狼に冷静で紳士的な対応は通じない。追放すべき時は「ペルソナ・ノン・グラータ」の措置をためらわず、国際社会と歩調を合わせるべきである。

と日本に対して助言してくれてはります。その通りですね。グチャグチャ言わんと、さっさと「ペルソナ・ノン・グラータ」で追放や。高市さん、負けたらあかんで、と応援しましょう。(画像

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