毎年同じことを書いてるような気がしますが、今日、11月23日は「勤労感謝の日」となっていますが、違う!「新嘗祭」や!と言いたいですね。もっちろん私は「覚醒」するまでは知りませんでした。あー恥ずかし。ん?「新嘗祭」、聞いたことはあっても古臭い昔の祭日や、ぐらいな認識やったと思います。
そして最近、つくづく思います。「勤労感謝の日」を「新嘗祭」に戻さへん限り、日本はまだ「独立」できてへんのやと言えるんとちゃうか、と。そうです、GHQに占領されたままやということですね。GHQはとうの昔におらへんようになったけれど、いまだに横田基地では米軍機が好き勝手に離発着してるわけですからね。
早うさっさと憲法を改正して、自衛隊を軍にして、防衛費は今すぐに倍増して、「核武装も検討する」ぐらい宣言したら、とりあえずホンマの「独立」の前提にはなるやろうと思いますね。んーー、まだまだやな。とは言え、形から入るのも方法としてはええかも知れませんね。
そもそも昔は「祝祭日」と言うてたのに、「祭日」が無くなったわけですからね。ネットで調べたらすぐに出て来ます。
【今の祝日に受け継がれた祭日】
・紀元節(きげんせつ)→建国記念の日
・春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)→春分の日
・昭和天皇の誕生日→昭和の日
・秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい)→秋分の日
・明治節(めいじせつ)→文化の日
・新嘗祭(にいなめさい)→勤労感謝の日
【受け継がれず廃止になった祭日】
・元始祭(げんしさい):1月3日
・新年宴会:1月5日
・神武天皇祭:4月3日
・神嘗祭(かんなめさい):10月17日
・大正天皇祭:12月25日
いっそのこと全部、元に戻したらええやん、と思いますね。そもそもこれらの「祭」は、皇室の私的行事やと言うこと自体が大まちがいで、皇室は、日本の国の中心そのものやから、逆に全部を国家行事に戻さなあかん、と思います。
とは言え、70年以上も放ったらかしにしてきたわけやから、とりあえず一つ一つ、取り戻して行きたいですね。まずはこの「新嘗祭」と「明治節」もしくは「明治の日」ですね。既に「祝日」にはなっているので、名前を本来のものに戻す、と。
まあええやんか、日本は戦争に負けたんやから「○○○ということにしておこう」みたいな発想は、もうこれからは通用せえへん時代に入って来てるように思います。曖昧な態度が危険を呼び込むことにもなるんや、という危機感も持たなあきませんね。
そして実は今月の11月3日には、私は「何が「文化の日」や。GHQに奪われた祝祭日を、70年たっても戻されへん、情けない日本国民。」と書いていましたね。これに関しては「明治の日推進協議会」という団体が既にあって、活動をしてはりますね。果たして実現可能性はどれくらいなんでしょうか。
さっさと議員立法で法律にしてしまえ、と私は思うのですが、法律とはそんなに簡単にできるもんでもないのでしょうか。たしかに明治節は、明治天皇のお誕生日をお祝いするので話は早そうですが、新嘗祭の場合は「宗教行事や」と言うて反対されそうですね。
私はそもそも神社や神道は宗教ではないと思てますが、これについてはめっちゃ高いハードルがありそうです。「政教分離」ですね。「津地鎮祭訴訟」という最高裁での有名な判例もあり、たとえば地鎮祭に公金を支出することは違憲ではないという判断は出ていますが、話はめっちゃややこしそうです。
それよりも私は、ネットで見つけた下の説明がわかりやすいと思いました。サイトは「神社人」です(神道について)。
「神道」は、日本を代表する「宗教」の一つに数えられますが、実際、「神道」は「宗教」というには、その「教え」に代わるものがなく、一般的な宗教概念からみると明らかに異彩を放っております。その本質的理解に及べば、「神道」は「宗教」というよりはむしろ、古代人の「考え方」や「姿勢」を習慣化したものに近く、どちらかと言えば、「イデオロギー」や「ライフ・スタイル」に近い性質を持っていると言えます。
ふむふむ。やっぱり神道は宗教とは違うな。そもそも「宗教」という言葉自体が問題なんや、と。
実際、この「宗教」という言葉も日本古来から見られた言葉ではありません。この言葉は明治時代に、「Religion」という言葉がもたらされた際に創りだされた訳語になります。何故なら、そこに代わる言葉が日本語として存在していなかったからです。
そうそう、西洋で言う「宗教」ができるはるか以前から、日本人には身についていた行動やったというわけですね。
解釈としては非常に難しい部分が多々ありますが、「神道」とは、そういう意味では、やはり、「生きる上での姿勢」や「生活様式」の中から解釈されるものの方が実態に近いものなのかもしれません。
つまりは、もはや日本人にとっては伝統的な「生活様式」になっている、ということですね。もう一つ、見つけたサイトも見てみましょう。「白旗神社」のサイトです(神道は宗教か?)。
神道には、教義・経典が無いというのが一番の特徴だと思います。教義・経典が無いので、布教や説法などもしませんでした。なぜなら神道は、太古の昔より永い年月をかけて日本人が培ってきた日本民族固有の信仰・思想であるからです。ですから仏教が伝来する以前、神道という言葉はありませんでした。
なるほど。「神道」という言葉さえなかったんや。私ら日本人が、永い年月をかけて引き継いできた神道、その最高の祭りである「新嘗祭」を、是非とも「祭日」として復活させましょう。
【文中リンク先URL】
https://naniwakawaraban.jp/2021/11/03/%e4%bd%95%e3%81%8c%e3%80%8c%e6%96%87%e5%8c%96%e3%81%ae%e6%97%a5%e3%80%8d%e3%82%84%e3%80%82ghq%e3%81%ab%e5%a5%aa%e3%82%8f%e3%82%8c%e3%81%9f%e7%a5%9d%e7%a5%ad%e6%97%a5%e3%82%92%e3%80%8170%e5%b9%b4/
http://meijinohi.com/
https://jinjajin.jp/modules/contents/index.php?content_id=18
http://www.shirahata-jinja.jp/blog/%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96/%E7%A5%9E%E9%81%93%E3%81%AF%E5%AE%97%E6%95%99%E3%81%8B%EF%BC%9F/
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コメント
全く同感です。以下松原正著『天皇を戴く商人國家』(地球社)より。
【皇太子殿下(現上皇陛下)は「お祭りだけでなく」萬事に懐疑的で、國民もまたかつての秋期皇靈祭や神嘗祭や新嘗祭の代りに、「敬老の日」だの「文化の日」だの「勤勞感謝の日」だのといふ、輕薄極る名の休日を樂しんでゐる。例へば「文化の日」に吾々は何を思ひ何を念ずるのか。ぐうたら憲法公布を祝つて平和を念ずるのか。平和を念ずる事と文化と何の關係があるのか。「敬老の日」はなにゆゑ九月十五日なのか。「勤勞感謝の日」とは、『國語大辭典』の定義によれば、「勤勞を尊び、生産を祝ひ、國民が互ひに感謝しあふ日」ださうである。だが、いかなる「勤勞を尊び」、何の「生産を祝ふ」のか。朝日新聞の「勤勞を尊び」、好色本の「生産を祝ふ」のか。そんな祝日に國旗を掲揚するのは愚者である。「鰯の頭も信心から」といふが、「敬老」だの「文化」だの「勤勞感謝」だのはいづれ空虚なお題目で、かつて老翁老婆が手を合せた「鰯の頭」ほどの價値も無い。】
全く同感です。
終戦時に立ち戻って、一からやり直すくらいの覚悟をしなければ、左傾化したGHQの日本崩壊路線まっしぐらの我が国の軌道は修正できないと思う。
ほんと、そう、オモイマスよ。
大事な話です。
五穀豊穣への感謝と次への、祈り、ですからね。
お祭りは夜店だけじゃない。
あまり言うと、とっ散らかって収拾つかなくなるので、
よします。 無限居士なのだ。
はて、にほんしんとう の時どうしたっけ。
おーい、様、よいしょしまくっていい気持ちにさせて、
日本もいいんだよね、ぐらいにさせて。ね。
ちなみに、秦氏はおおむね、敵対することでなく、
あ る い は 縁戚にもぐりこんだのかもしれません。
今ある神社の大半は秦氏由来のもののようです。
当時のかなりの先進技術をもちこんだ 人たち。
んで、
続かん、ごきげんよう。
エライすんません。
訂正させてください。
無限でなく、無言です。。
さこみちよさんみたいに、無口で控えめがウリなのに。
まじまじまじ、
あーやだ、ヨシモトも行けんのやし。
勤労感謝の日もそうですが、私はハロウインこそ
新嘗祭と改めるべきだと思うんですがねー。収穫祭でしょ。
「早うさっさと憲法を改正して」・・・安倍さんに我々は期待しました。しかし結果はできなかった。進展も「あった」とは言えない。そして選挙。維新は選挙が終わるや否や、憲法改正を言い出した。
維新を通して岸田政権のお尻を叩くのも一方法だと思います。維新嫌いの人も、維新を利用したらいかがですか。手段のため目的変更はおかしいが、目的のため手段には目をつぶるのはありだと思います。
東京都の新宿近くに産業遺産情報センターというのがあるのですが、そこのホームページのデザインが酷くてビックリ。世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」のインタープリテーションと謳いつつも、とてもそんな雰囲気じゃない。明治の日推進協議会の方達にも是非見てもらいです。