お医者さんは病気を治す人、薬屋さんは病気を治す薬を売ってくれる人、当たり前ですね。わざと人を病気にして、それに効くニセ薬を買わせる人って、やっぱり悪魔、鬼としか言いようがないですね。それがこのコロナ、ワクチン騒動でした。
こう書くと、また陰謀論か、という人もいます。世界中を相手にそんなインチキが出来るわけがない、と言うんですね。いやいや、ウソは大きいほどバレにくいというのは、何とヒトラーが言うてたことなんですよ。ほら、人間、ちっとも成長せえへんな。
昨日(10/22)の【そうきチャンネル】で渡辺惣樹さんが言うてはりました(『温暖化危機不存在』・宣言科学者1609人の勇気)。何十年?もかけて国連を使って「地球温暖化」のデマを流して来た経緯について説明してくれてはります。え?「地球温暖化」はウソなんですよ。
このことは最近、ようやく知られるようになって来ましたね。やや気付いている人たちは、「気候変動」という言い方にすり替え始めています。日本政府はアホのままですね。日本では官僚も一般の人も、いったん決められたことはきっちりやり遂げる人がものごっつい多いので、すぐには変わられへんようですね。しかも善意でやってしまう人が多いのも悩ましいです。
上の渡辺さんの動画では、科学者自身がウソとわかっていても、今の地位やお金をキープしたいために、平気でウソつきに加担する人たちの話が出て来ます。悲しいですね。日本ではテレビ、新聞では絶対に報道しませんし、ネットでさえ、X(旧ツイッター)以外は全て、反ワクチン話はいまだにBAN(削除)されますからね。
そしたら昨日の山口敬之さんの有料ニコ生(【第39回 10/22山口敬之チャンネル生放送】)でも似たような話が出て来ました。ガザとイスラエルの話、TBSの話です。前に私は「服役したテロリストの娘を平気で出すBS-TBS、アタマおかしいで。日本のテレビは真っ赤っかやな。」で、TBSがテロリスト重信房子の娘、重信メイを出して、イスラエル大使が激怒した話を書きました。
そしたらTBSは今度は放送大学名誉教授、高橋和夫氏を出して来たところが、結構ハマス寄りの話ばかりで評判が悪く、代わりに出してきたのが中東専門でも何でもない斎藤幸平氏、何のことはない、ただのマルクス主義者やったというわけです(画像は読売テレビの「ミヤネ屋」)。
日本の文科系の学者たちは基本的には左翼なので、極左のTBSが人を探して来ても結局、ハマス寄りの話しかでけへんわけですね。そしてネットでは発言しまくり、引用されまくりの飯山陽(いいやまあかり)さんは、地上波にはあまり呼ばれることはないわけですね。ご本人のX(旧ツイッター)ポスト(投稿)です。
日本では飯山陽VSその他研究者全員&全メディアという構図だが、世界の研究者やメディアの論調を見れば日本の状況の異様さがわかる。/エジプト系米国人研究者「ハマスはイスラム国に類似したテロ組織で、パレスチナ人を人間の盾として利用する一方、ハマス戦闘員は地下トンネルに隠れているのだ」。
なかなか愉快な人ですね。極左のテレビ局が早く無くなって、こういうまともな人がどんどん出て来て、しっかりギャラが貰えるようなメディアの状況になってほしいですね。今はまともなことを言うと、逆に収入が絶たれるような、倒錯した世界になっていますね。そして今朝、産経新聞の一面を見て卒倒しそうになりました。何で今ごろ、ヒラリーやねん、と。
高松宮殿下記念世界文化賞の国際顧問として来日したんやそうです。記事の中身はどうでもええです。「バイデン氏はトランプ氏を倒し、再選されると思う」って、あんたら、またインチキ選挙をするんかいな。フジテレビにも出るようなので、やっぱりフジサンケイグループは、米民主党の言いなりなんかな、と思いました。
私ら日本人、ダマされてばっかりではあかん、このままやったらホンマに滅ぼされるで。しっかり情報を取って、みんなで賢うならなあかん、と言うておきましょう。
【文中リンク先URL】
https://www.youtube.com/watch?v=MXBpoX6engI
https://live.nicovideo.jp/watch/lv343148140
https://naniwakawaraban.jp/2023/10/13/%e6%9c%8d%e5%bd%b9%e3%81%97%e3%81%9f%e3%83%86%e3%83%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88%e3%81%ae%e5%a8%98%e3%82%92%e5%b9%b3%e6%b0%97%e3%81%a7%e5%87%ba%e3%81%99bs-tbs%e3%80%81%e3%82%a2%e3%82%bf%e3%83%9e/
https://www.ytv.co.jp/miyaneya/article/page_s5k5poaoum3lbdvt.html
https://twitter.com/IiyamaAkari/status/1716242424862064850
https://www.youtube.com/watch?v=In9-uArW664
https://www.sankei.com/article/20231022-7Y57NEARMZPWHNZLTSQUJPGULY/
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コメント
嘘つきはザイム真理教の始まり。
政府が先頭でウソをつきまくるので民間にモラルを求めてはいけません。
あのう、いつも失礼します。
飯山陽のような、テロは悪いんだ!歴史に囚われるな!というような変態をマトモな人だとして、普通の中東研究者を左翼と云うようなブログでは、ただのネトウヨ(ネットにウヨウヨいる情弱)だと思いますよ。
拠って、参考までに西側のマスゴミも認めている歴史的事実を張っておきますから、英国を引き継いだ米国やイスラエルが如何に悪党なのか?
日本人として、日本を保守したいのであれば自覚して頂きたいと希望します。
ホントに簡単ですが、コメント欄では長くなりますから、
お気に召さない様であれば、削除してください。
以下は、世界で最も長く続いている紛争の1つを解説する簡単なガイドである:
バルフォア宣言とは何だったのか?
*今から100年以上前の1917年11月2日、当時のイギリス外務大臣アーサー・バルフォアは、イギリスユダヤ人社会の重鎮ライオネル・ウォルター・ロスチャイルドに宛てて書簡を書いた。
*これはわずか67文字という短い書簡だったが、その内容はパレスチナに大きな衝撃を与え、それは今日に至る。
*それは、「パレスチナにユダヤ人のための民族の故郷を建設すること」と「この目的を達成すること」を促進することをイギリス政府が約束するものであった。この書簡はバルフォア宣言として知られている。
*要するに、ヨーロッパの大国がシオニスト運動を支持し、パレスチナ系アラブ人が人口の90%以上を占める土地に国を作ることを約束したのである。
*イギリスの委任統治領は1923年に創設され、1948年まで続いた。その間イギリスは大量のユダヤ人移民を受け入れた。
新住民の多くはヨーロッパのナチズムから逃れた人々であり、抗議運動やストライキにも直面した。パレスチナ人は自国の人口構成の変化と、ユダヤ人入植者に引き渡すためのイギリスによる土地の没収に憂慮していた。
1930年代に何が起こったのか?
*激化する緊張は、最終的に1936年から1939年まで続いたアラブ反乱につながった。
*1936年4月、 結成されたばかりのアラブ民族委員会はイギリスの植民地主義と増え続けるユダヤ人移民に抗議するため、ゼネスト、納税の差し控え、ユダヤ製品のボイコットをパレスチナ人に呼びかけた。
*この6ヵ月間のストライキはイギリスによって残酷に弾圧された。イギリスは集団逮捕キャンペーンを展開し、イスラエルが今日もパレスチナ人に対して実施している懲罰的な家屋破壊を行った。
*反乱の第二段階は1937年後半に始まり、パレスチナの農民抵抗運動が主導し、イギリス軍と植民地主義を標的にした。
*1939年後半までにイギリスはパレスチナに3万の軍隊を集結させた。村々は空爆され、外出禁止令が出され、家屋は取り壊され、行政拘留と即決殺人が蔓延した。
*これと並行して、イギリスはユダヤ人入植者コミュニティと協力して武装グループを結成し、特別夜間部隊と名付けられたユダヤ人戦闘員によるイギリス主導の「対反抗部隊」を結成した。
*国家樹立前の入植者コミュニティであるイシュブでは、密かに武器を輸入し、後にイスラエル軍の中核となるユダヤ人準軍事組織ハガナを拡大するための武器工場が設立された。
*この3年間の反乱で5,000人のパレスチナ人が殺され、15,000人から20,000人が負傷し、5,600人が投獄された。
国連分割計画とは何か?
*1947年までに、ユダヤ人の人口はパレスチナの33パーセントにまで膨れ上がったが、彼らが所有する土地はわずか6パーセントだった。
*国連は決議181号を採択し、パレスチナをアラブ人とユダヤ人の国家に分割することを求めた。
*パレスチナはこの計画を拒否した。なぜならパレスチナの約56パーセントがユダヤ人国家に割り当てられ、その中には肥沃な沿岸地域も含まれていたからである。
*この時パレスチナ人は歴史的なパレスチナ領土の94パーセントを所有し、人口の67パーセントを占めていた。
1948年のナクバ(パレスチナの民族浄化)
*1948年5月14日にイギリスの委任統治領が失効する前から、シオニストの準軍事組織は誕生するシオニスト国家の国境を拡大するために、パレスチナの町や村を破壊する軍事作戦に着手していた。
*1948年4月、エルサレム郊外のデイル・ヤシン村で100人以上のパレスチナ人男性、女性、子供が殺された。
*1947年から1949年にかけて500以上のパレスチナの村、町、都市が破壊され、パレスチナ人は「ナクバ」(アラビア語で「大惨事」)と呼んだ。
*数十の虐殺を含め、推定1万5000人のパレスチナ人が殺された。
*シオニスト運動は歴史的なパレスチナ領土の78%を占領した。残りの22パーセントは現在のヨルダン川西岸地区と包囲されたガザ地区に分割された。
*推定75万人のパレスチナ人が家を追われた。
*現在、彼らの子孫は600万人の難民として、パレスチナ全土とレバノン、シリア、ヨルダン、エジプトの近隣諸国にある58の劣悪なキャンプで暮らしている。
*1948年5月15日、イスラエルは建国を宣言した。
*翌日、第一次アラブ・イスラエル戦争が始まり、イスラエルとエジプト、レバノン、ヨルダン、シリアの間で休戦協定が結ばれた後、1949年1月に戦闘は終結した。
*1948年12月、国連総会はパレスチナ難民の帰還権を求める決議194号を可決した。
ナクバ後の数年間
*少なくとも15万人のパレスチナ人が新たに誕生したイスラエルに残り、最終的にイスラエル市民権を与えられるまでの約20年間、厳しく管理された軍事占領下で暮らした。
*エジプトがガザ地区を占領し、1950年にはヨルダンがヨルダン川西岸地区の行政統治を開始した。
*1964年にはパレスチナ解放機構(PLO)が結成され、その1年後にはファタハ政党が設立された。
ナクサ(6日間戦争)と入植地
*1967年6月5日、イスラエルはアラブ連合軍との6日間戦争で、ガザ地区、ヨルダン川西岸、東エルサレム、シリアのゴラン高原、エジプトのシナイ半島を含む歴史的パレスチナの残りの地域を占領した。
*一部のパレスチナ人にとって、これは第二の強制移住(ナクサ、アラビア語で「後退」を意味する)につながった。
*1967年12月、マルクス・レーニン主義のパレスチナ解放人民戦線が結成された。その後10年間、左翼グループによる一連の攻撃や飛行機のハイジャック事件が発生し、パレスチナ人の苦境に世界の注目が集まった。
*占領下のヨルダン川西岸地区とガザ地区では入植地建設が始まった。ユダヤ人入植者にはイスラエル市民としての全ての権利と特権が与えられた一方、パレスチナ人は差別され、あらゆる形態の政治的また市民的表現を禁じる軍事占領下に置かれるという二層システムが作られた。
INTERACTIVE イスラエルの入植地とは何か?(アルジャジーラ)
第一次インティファーダ 1987-1993
*1987年12月、イスラエルのトラックとパレスチナ人労働者を乗せた2台のバンが衝突し、4人のパレスチナ人が死亡した後、ガザ地区で第一次パレスチナ・インティファーダ(イスラエルへに対する蜂起)が勃発した。
*抗議行動はヨルダン川西岸地区にも急速に広がり、若いパレスチナ人がイスラエル軍の戦車や兵士に投石した。
*イスラエル占領に対する武力抵抗を行うムスリム同胞団の分派であるハマス運動の設立にもつながった。
*イスラエル軍の強硬な対応は、当時のイツハク・ラビン国防相が提唱した「彼らの骨を折る」政策に集約されている。即刻の殺害、大学の閉鎖、活動家の国外追放、家屋の破壊などである。
*インティファーダは主に若者たちによって実行され、イスラエルによる占領を終わらせ、パレスチナの独立を確立することにコミットしたパレスチナの政治派閥の連合体である蜂起統一民族指導部によって指揮された。
*1988年、アラブ連盟はPLOをパレスチナ人の唯一の代表として承認した。
*インティファーダの特徴は、民衆の動員、大規模な抗議行動、市民的不服従、組織化されたストライキ、共同組合である。
*イスラエルの人権団体B’Tselemによると、インティファーダ中、イスラエル軍によって1,070人のパレスチナ人が殺害され、その中には237人の子どもも含まれていた。逮捕されたパレスチナ人は17万5千人以上にのぼる。
*インティファーダはまた、国際社会に紛争の解決策を模索するよう促した。
オスロ時代とパレスチナ自治政府
*インティファーダは1993年のオスロ合意の調印とパレスチナ自治政府(PA)の成立によって終結した。PAは、占領下のヨルダン川西岸とガザ地区の一部で限定的な自治を認められた暫定政府である。
*PLOは2国家解決策に基づいてイスラエルを承認し、ヨルダン川西岸の60%、同地域の土地と水資源の大部分をイスラエルに支配させる協定に事実上調印した。
*PAは東エルサレムに首都を置き、ヨルダン川西岸とガザ地区で独立国家を運営する初の選挙で選ばれたパレスチナ政府に道を開くはずだったが、それは実現しなかった。
*PAの批評家は、PAをイスラエルの占領に対する腐敗した下請け業者と見なし、イスラエル軍と緊密に協力してイスラエルに対する異議や政治活動を抑圧していると見なしている。
*1995年、イスラエルはガザ地区の周囲に電子フェンスとコンクリートの壁を建設し、分断されたパレスチナ自治区間の交流を遮断した。
第2次インティファーダ
*第2次インティファーダは2000年9月28日に始まった。リクード派の野党指導者アリエル・シャロンが、エルサレム旧市街とその周辺に数千人の治安部隊を配備した状態で、アル・アクサ・モスクの敷地内を挑発的に訪問したのである。
*パレスチナ人抗議者とイスラエル軍との衝突により、2日間で5人のパレスチナ人が死亡、200人が負傷した。
*この事件は広範な武装蜂起を引き起こした。インティファーダの間、イスラエルはパレスチナの経済とインフラにかつてない損害を与えた。
*イスラエルはパレスチナ自治政府が統治する地域を再占領し、入植地建設の横行とともにパレスチナ人の生活とコミュニティを破壊する分離壁の建設を開始した。
*入植地は国際法に違反しているが、数十万人のユダヤ人入植者がパレスチナから盗んだ土地に建設された植民地に移住してきた。入植者専用の道路やインフラが占領された西岸を切り裂き、パレスチナの都市や町をバントゥスタン(南アフリカの旧アパルトヘイト政策下で作られた黒人居住区)のような孤立した飛び地に追いやっているため、パレスチナ人のためのスペースは縮小している。
*オスロ合意が調印された当時、東エルサレムを含むヨルダン川西岸には11万人強のユダヤ人入植者が住んでいた。現在、その数は70万人を超え、パレスチナ人から収用された10万ヘクタール(390平方マイル)以上の土地に住んでいる。
パレスチナ分断とガザ封鎖
*PLO指導者のヤセル・アラファトが2004年に死去し、その1年後に第2次インティファーダが終結、ガザ地区のイスラエル入植地が解体され、イスラエル兵と9000人の入植者がガザ地区を去った。
*その1年後、パレスチナ人は初めて総選挙に投票した。
*ハマスが過半数を獲得した。しかし、ファタハとハマスの内戦が勃発し、数カ月間続き、数百人のパレスチナ人が死亡した。
*ハマスがファタハをガザ地区から追放し、パレスチナ自治政府の主要政党であるファタハがヨルダン川西岸の一部の支配権を回復した。
*2007年6月、イスラエルはハマスの行為を「テロリズム」と非難し、ガザ地区に対して陸上、空中、海上の封鎖を課した。
ガザ地区をめぐる戦争
*イスラエルは2008年、2012年、2014年、2021年の4回にわたり、ガザに対する長期的な軍事攻撃を開始した。多くの子どもを含む数千人のパレスチナ人が殺され、数万棟の家屋、学校、オフィスビルが破壊された。
*包囲によって鉄鋼やセメントなどの建設資材がガザに届かないため、再建は不可能に近い。
*2008年の攻撃では、燐ガスなど国際的に禁止されている武器が使用された。
*2014年、イスラエルは50日間に渡り、1,462人の市民と500人近い子どもを含む2,100人以上のパレスチナ人を殺害した。
*イスラエル軍によって「保護的エッジ作戦」と呼ばれたこの攻撃で、約1万1000人のパレスチナ人が負傷し、2万棟の家屋が破壊され、50万人が避難した。」
アメリカやイスラエルがパレスチナで何をしているのか?分かるだろうか?
日本の岸田がG7で唯一イスラエルの自衛権支持に回らなかった事が正しい選択であることは馬鹿でも分かるだろう。
ホシュ 様
大変な力作コメントをありがとうございます。
拙ブログは「ネトウヨ(ネットにウヨウヨいる情弱)」でしたか。
あと、
飯山陽氏が「変態」、高橋和夫氏が「普通の中東研究者」で左翼ではない、
ということの説明も欲しかったです。
あまりにテーマが深いので、とても私ごときが書ける話ではありません。
いずれにしても日本の全マスゴミが、ややもすればテロ容認、
山上にも言い分がある、みたいな風に流そうとするのを、
何としても阻止したい、との思いです。
イスラエルだってエゲつないわけで、
それを知ってるからこそ今、世界中がピリピリしてるわけですね。
X(旧ツイッター)で知らせて貰ったのですが、
これがわかりやすかったです。
(もぎせかチャンネル)
https://www.youtube.com/watch?v=ZtXa6IfrgRw