自分のブログなのに、読者さんのコメントに泣かされるなんて、幸せ過ぎます(笑)。「費府の飛行士」さんの、お里帰りの話から桜島の話、知覧の話、結局日本が一番、の話、、、もう尽きませんね。皆さん、ありがとうございます。そう言えば費府さんの話の中の「全滅の定義」は、私が「覚醒」し始めたころ、あの有名なブログ「余命三年時事日記」の「兵の強弱と全滅の定義」の記事で知りました。
何も知らんかった私は驚愕したものです。リンク先はそのバックアップです。初代「余命」さんはもう亡くなってはりますが、私と同じくこのブログで「覚醒」した人は多いと思います。間違いなく、大きな足跡を残してくれはったと私は思います。
日本人は、最後の一人まで戦うんですね。アメリカ兵はそれが理解できず、大東亜戦争後、精神を病む人が続出した、と。もう日本人が怖くて怖くてしゃーなかったんですね。こんな奴らと二度と戦いたくない、と。
そこで戦後は、とにかく日本人の精神をとことん壊そうと、本気で考えたわけですね。そしてもちろん、その真ん中には「天皇」があったというわけです。とにかく「天皇」につながることは、貶めて行こう、ということですね。そしてそれは何と、今も続いてるということを、今日は書きましょう。
そうです、今日は「勤労感謝の日」です。何やそれ、ですね。「新嘗祭」に戻さなあかんやろ。GHQ占領下で奪われたものは、さっさと戻しましょう。戦争に勝ったら、その国の歴史や伝統を壊して、祝祭日も変えてもええんか?おかしいやろ!ですね。
ところが昭和27(1952)年、日本は「独立」したはずやのに、その時に憲法も含めて、何も取り戻してはいなかったんですね。たった7年で日本は、ホンマに骨抜きにされてしもてた、というわけですね。(写真)
「祝祭日」の話はしょっちゅう書いてます。最近ではこないだの11/3「文化の日」にも書きましたが、コピペしておきます。
■大祭日(七日)
元始祭、春季皇霊祭、○○天皇(先帝)祭、秋季皇霊祭、神武天皇祭、神嘗祭、新嘗祭
■祝日・四大節
四方拝、紀元節、天長節、明治節
※注釈:
1.四方拝 1月1日(現・元旦)
2.元始祭 1月3日
3.(先帝祭)
明治時代は孝明天皇祭で1月30日、
大正時代は明治天皇祭で7月30日、
昭和時代は大正天皇祭で12月25日、
平成・令和時代は昭和の日で4月29日。
4.紀元節 2月11日(現・建国記念日)
5.春季皇霊祭 3月21日頃(現・春分の日)
6.神武天皇祭 4月3日
7.秋季皇霊祭 9月23日頃(現・秋分の日)
8.神嘗祭 10月17日
9.天長節 11月3日(現・文化の日)
(天皇誕生日)明治天皇誕生日は明治節(11月3日)
現在この日は文化の日、天皇誕生日は2月23日として国民の祝日
10.新嘗祭 11月23日(現・勤労感謝の日)
この中で、明らかに奪われて無くされたものは、「神武天皇祭」と「神嘗祭」。残ってはいるけれど、全然関係あらへん名前にされたのが「新嘗祭(勤労感謝の日)」と「明治節(文化の日)」ですね。
葛城奈海さんが、もはやサヨクの巣窟とバレている国連へ行って、わざわざ演説してくれはったことがニュースになりましたが、それでも国連は、皇室典範の改正を勧告したとか(「お奨め」に過ぎない国連の勧告)。アホらしい話です。「敗戦国」は、いったいいつまで言われっ放しなんでしょうか。(写真)
こうやってしっかり言い返すことが大事、というのはその通りですね。せやけどやっぱり、今もまだ国内に、外国の軍隊がずっとおって、空域さえも自由に使うてることなんかも、ずっと変わっていませんね。(画像)
そういえば今日、私が入れて貰うてるメーリングリストで、元陸上自衛隊の幹部自衛官やった人が、「自衛隊は無能すぎる官僚の愚策に喘いで」いるという投稿をしてはりました。長いですがコピペさせて貰います。
1 国家の命令でスクランブル発進した戦闘機のパイロットは敵機に対して、警察官職務執行法第7条に基づき、法第36条「正当防衛」第37条「緊急避難」の判断を要求され国家の責任転嫁が発生し国家防衛はパイロット個人の責任となる。
2 国家の命令で防衛出動した自衛隊車輌、船舶や隊員に対して鉄道料金や船舶代金が正当に請求される。
3 日本を防衛するため、防御陣地や施設を作る場合には地主と土地や建物の賃貸借契約を交わし、国交省へ建築申請しなければならない。
4 日本を防衛するため、戦車等の重車輌が国道や橋梁を通過するには重量が超過するため国交省からの通行許可が必要である。
5 防衛出動中の戦車や隊員が敵との戦闘で私有地や建物に入れない。
6 防衛出動中に、戦車や自衛隊車輌などの車検が切れると道路運送車両法違反となる。
7 防衛出動中に、イ-ジス艦や潜水艦など船舶検査を受けなければ船舶安全法になる。
8 防衛出動中に、F-15戦闘機などのC整備M整備の周期がくると作戦には使えない。
9 防衛出動中の隊員の自動車運転免許証、船舶免許証の有効期限が切れて車両の運転や船舶の操縦ができなくなる。
10 防衛出動中の自衛隊車輌が敵を追尾中であっても道路交通法に従い法定速度を守り赤信号で止まらなければならない。
11 防衛出動中の自衛隊が任務遂行のため放置物や車輌等を勝手に移動にさせることが出来ない。
12 住民の避難用として自衛隊が保有する簡易橋梁を河川に設置できない。
いやあ、ホンマに日本は戦争なんか起こったら、何もでけへんやんか。もうこういうゴマカシはやめましょう。今の今、「岸破」政権では絶対無理ですが、いずれ引きずり降ろして、高市政権で一気に日本を変えて行かな、ホンマに日本は滅びてしまいますね。
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コメント
自分のブログにコメントを入れるのもへんな話ですが(笑)、
たまたま久しぶりにねずさんの記事を見かけて、
今日の記事につながる話やったので、まんまコピペさせて貰います。
ぜんこうのひとりごと
「天皇制という言葉への違和感」
https://nezu3344.com/blog-entry-3351.html
多くの日本人は、「天皇制」という言葉にとても違和感を覚えるといいます。私もそうです。
そのような言い方をする方が意図するしないにかかわらず、「天皇制」という言葉は、どうも「天皇は日本国憲法によって規定された存在なのだ」というニュアンスが感じられるからです。
日本という国は、憲法があるから日本ではありません。
国境があるから日本でもありません。
日本があって天皇があるわけでもありません。
日本は、久遠元初の昔から、天皇があるから日本があるのです。
イザナキ、イザナミという二柱の神から子が生まれ、孫が生まれ、ひ孫が生まれ、そうして次第に人口が増え、淡路島、四国、九州と、その子孫たちが広がっていき、その広がっていった子孫たちが、本家の中の総本家として、天皇家を仰ぎ、天皇のおわす場所を国の中心としてくることで成り立った国が日本です。
これが日本の成り立ちです。
このことは、私が申しているのではなくて、古事記の神話に書かれていることです。
その日本には、長い歴史の間に、アーリア系やコーカソイド系、あるいはネグロ系等、様々な人種の人たちがやってきて、なんとなく日本に住み着き、日本人と交じり、子を為してきました。
それら混血の人々も、天皇を国の中心と仰いできたから、日本人となりました。
こうした国民についての考え方は、国によっても実は様々です。
米国の場合、出身の国籍や肌の色に関わらず、合衆国憲法を遵守し、合衆国のために命を捧げる人が米国人と規定されます。
イスラエルの場合、ユダヤ教の信者であり、イスラエルを護る意思のある人がイスラエル人です。
ですからイスラエルには、黒人系のイスラエル人もいれば、黄色人種系のイスラエル人もいます。
白人であっても、様々な国や民族の人が、ユダヤ教の教えに従い、イスラエルに忠誠を誓えば、それはその日からイスラエル人です。
ですからイスラエルでは、ユダヤ教を辞めれば、イスラエル人ではなく、イスラエル国民でもありません。
一般に国民国家というものは、国境の内側にいる人は、等しく同じ権利義務を持つものと規定されますが、イスラエルの場合、国内にいる回教、ドルーズ教、キリスト教の信者はイスラエル人ではありません。
従って数多くの身分上の制限があります。
ですからユダヤ教徒はユダヤ教徒、回教徒は回教徒、キリスト教徒はキリスト教徒との結婚しか認められていません。
異教徒との結婚はありえません。
どうしても結婚したいのなら、イスラエルから出ていって、他の国で結婚してもらうしかありません。
ちなみにドールズ教徒は、教団としてイスラエルの味方になる方針を決めています。
ですから兵役もちゃんとこなすし、とりわけ優秀な兵士となっています。
それ以外の教徒は、徴兵にも応じません。
ですから国籍はイスラエルにあっても、イスラエル国民とは理解されません。
Chinaの場合は、王朝が交代する都度、人口が大きく入れ替わってきたという歴史を持ちます。
Chinaに住んでいるからChineseではないし、漢民族としての血筋も相当疑わしいものがあります。
ですから漢民族というのは、単に漢字を用いる人という意味であって、血統による血筋ではありません。
もともとChinaでは社会のすべてがピンはねで成り立っており、その中の最大のものが各地方毎に割拠している軍閥です。
現代のChina共産党は、その軍閥の中の最大勢力という構造になっています。
言い換えれば、ピンハネに応じている人々が、現代中共にとっては全部Chineseです。
その意味では、彼らの意識の中では、現代日本国政府も毎年300億円を越える上納金を拠出していますから、これは古代の朝貢と同じ意味となり、日本もChinaの内、ということになります。
そして中共政府は、反日によって成り立つ日本への対抗勢力ですから、彼らの感覚にとっては、日本人は国というよりも、国内にある反中民族ないし、犯罪集団という認識となります。
同様に韓国は、日本への対抗のために造られた人工国家です。
自分たちのしでかしてきたありとあらゆる犯罪を、全部日本になすりつけることで成り立っている国ですから、まともな議論などできるはずもなく、また、反日であることが韓国人であることの要件ですから、日韓関係など、そもそも正常化などするわけがありません。
これらは、個人がどのように優れた人であるかとは、まったく関係のない、国家形成の基本構造です。
ですから中華系や韓国系の血筋の方の中にも、立派な人はたくさんいますが、民族や国家の意識がそこに加わると、おかしなことになっていきます。
国民国家というのは、19世紀の西洋で生まれた概念とされていますが、このように国民についての意識や考え方は、実は各国によってまちまちです。
日本は、ユーラシア大陸の東の外れにあるため、太古の昔から、世界中からいろいろな人がやってきて、なんとなく日本に住み着きました。
そして生粋の日本人と血がまじって行くのですが、そうした人々さえも日本語を話す日本人になりました。
このことが何を意味するかといえば、日本列島にはもともと生粋の日本人が住んでいて、そこに様々な民族が過去においてやってきたけれど、全部それらが日本人となったということです。
なぜ外国からやってきた人々が日本の文化を受け入れ、日本人となっていったかといえば、日本が世界中のどこにもない、シラス国であったからです。
国民が、国家最高権威によって「おほみたから」と規定されるのです。
ですから日本人は、権力の横暴によって収奪されることなく、安心して安全に豊かに暮らすことができたのです。
このことは、近年において外国からやってきて日本に長く住む人が、いつのまにか日本人に同化してしまうことにも見て取ることができます。
最初は、電車に乗るときに整然と並んで電車を待ち、順番に電車に乗り込む日本人が馬鹿にしか思えず、一目散に割り込んで席に座っていたChineseも、いつの間にか整然と並ぶようになる。
日本に長く住む日本人が、カメラを向けられると無意識にピースサインをする。
長く日本にいた米国人が、母国に帰ったあと、英語の語尾にいつのまにか「ね、よ、でしょ」を付けるようになる等々、平和で安全に安心して暮らすことのできる日本に、いつの間にか同化してしまう。
これらはすべて、末端のひとりひとりの日本人が、奴隷ではなく末端のひとりひとりこそが大事な存在なのだ、たからなのだと考える日本の素晴らしさに、知らず知らずのうちに同化していくことを示しているということができます。
仁徳天皇が、民のカマドを観て税を免除し、カマドから盛んに煙が立ち昇るようになったのを観て、
「朕は豊かになった」
と述べられたという話は有名です。
税を免除したために、皇居はボロボロになってしまっていたのですが、仁徳天皇にとっては、自らが贅沢な暮らしをすることよりも、民の暮らしが豊かになることの方が大切だったのです。
日本はこうした歴代天皇の存在があって、その歴代天皇によって民が国家最高の宝であると規定されることによって、歴史を紡いできた国です。
つまり、天皇がすべての日本人の親となって、民の幸せを願い続けてくださったことによって、国家的恩恵を受け続けてきたのが日本人であるということです。
ですからその日本のことを、かつてのChinaでは、「蓬莱山(ほうらいさん)」とか、「桃源郷」と呼んでいました。
桃源郷というのは、ユートピアとは異なります。
ユートピアは、人類が主体的に築き上げようとする理想国家です。
そしてその国家を築こうとした旧ソ連は、管理社会となって行き詰まって崩壊しました。
一方、桃源郷というのは、日常生活そのものが静かで満ち足り、人と人とが無用な争いを起こさず、互いに思いやりの心を持って過ごすことのできる社会です。
日本こそ桃源郷なのです。
4世紀から5世紀に生きた陶淵明(とうえんめい)という人が、その桃源郷のことを次のように書いています。
「人々は野良仕事に精を出し
家に帰ると読書を楽しみ
狭い道には車も入って来れぬから
誰もが静かに暮らすことができる。
近隣の人たちと歓談して酒を酌み交わし
肴に庭の野草を食う
小雨が東の方から降ってくると
それに伴って気持ちのよい風も吹く」
世界中が、権力者による収奪で成り立っていた古代において、日本だけがまさに桃源郷となっていました。
なぜそれができたのかといえば、権力者よりも上位に天皇という最高権威があり、その最高権威によって、民衆こそがたからとされてきたからです。
私たち日本人は、自由な言論を楽しむことが出来ます。
日本にいて、日本の批判さえも許容されています。
けれど、そのために暴力をふるえば、あたりまえのことですが、逮捕され、隔離されます。
ところがその牢屋が、江戸の昔でも、明治や昭和初期の日本でも、諸外国における日常生活より、よほど文化的な生活のできるところであったのです。
なにせ、牢屋の中に布団や畳が用意してあり、囚人たちがそれを汚さないように大事に使っていたくらいです。
そんな国、世界中どこを探してもありません。
その日本では、つい最近まで、会社はかつての藩と同様、終身雇用があたりまえでした。
なぜなら日本では、会社のトップは天皇の「おほみたから」を預かっているのです。
ところが最近では、パート、アルバイト、派遣等によって、いつでもクビにできる雇用形態があたりまえになってきました。
なぜこのようなことが起こるのかといえば、日本人が天皇を祖とするという意識を失い始めているからです。
日本を取り戻すということは、本質的には、日本が天皇のシラス国という、日本元初の頃からの仕組みを取り戻すということであろうと思います。
最後にひとつ付け加えます。
天皇が行う新嘗祭のことです。
新嘗祭は、その年の新穀を皇居に天照大御神をお招きされ、天照大御神とともに天皇が新穀を召し上がるという行事です。
この行事の際、炊いたご飯は、柏の葉の上に盛られます。
食べるのに使う箸はトングのような形をした古代箸です。
最高神である天照大御神をお迎えするのです。
迎えるのは国家最高の権威である天皇です。
普通に考えれば、最高の食器が用いられそうなところです。
ところが、それが柏の葉にトング箸なのです。
我が国では、世界最古といわれる1万6500年前の土器が発掘されています。
8000年前には、すでに漆塗りの食器が用いられています。
ところが柏の葉にトング箸なのです。
ということは、この伝統行事は、土器が用いられるようになる前から始まっている行事であるということです。
ということは、それはいったい何年前から始まっていることなのでしょうか。
すくなくとも、1万6500年よりも、もっと古い時代からの慣習でありそうです。
そしてそれくらい古い昔から、天皇は、天皇でおいでになられたのです。
ですからはっきり申し上げて、天皇は、日本国憲法に基づく存在ではありません。
もちろん、憲法に基づく存在でもありません。
日本人が日本人たるゆえんであり、天皇があるから日本人があり、日本国があるのです。
つまり天皇は制度ではなく、日本の本質そのものなのです。