マッカーサーは昭和天皇を好きになったんとちゃうか?実は日本国憲法が國體を護った?え?

パンチ小

 何にも考えんと、何十年もぼぉーっと生きてきてある時、何かおかしいなと思い始めて本を読み、いろんなことを知り始めて、ついに激オコになって今に至るわけですが(笑)、日本国憲法の話はびっくりでしたね。私はそこそこちゃんとお勉強もできる子やったからww、今でも中学1年の社会で最初に習うた、日本国憲法の3つの柱は言えますよ(笑)。教育て、コワいですね。まあそんな人間が今や、「あれはデキの悪い学生のコピペや」なんて言うてるわけですからね。


 今回の参議院選では「憲法論議」なんてとても望めませんが、それでもやっぱりおかしいなあ、と思う日本人は確実に増えてきてると思います。やっぱり今の世界情勢を見て、それでも武力を放棄せえ、なんて絶対おかしい、まして共産党が言うてる、「いずれ自衛隊はなくす」やなんて、アホか、の一言ですね。


 これについては何度か書いてますが、憲法制定当時、芦田さんが少しでも抵抗を、と考えて「前項の目的を達するために」という一文を入れたことは、「芦田修正」と言われてて、その後、自衛のためならOKという道を開いたように言われています。また、ヘタくそな訳文調なのも、いずれこんなもん、独立したら捨てたるわい、と思てたからわざとそうした、みたいな話もありますね。当たらずといえども遠からず、でしょうか。いずれにしても、こんな憲法、もうアカンで、ということに変わりはないと思います。とはいえさっさと改正でけへんのが情けないですけどね。


 そしたら今日、私が入れて貰うてるメーリングリストで、日本国憲法に関してちょっとした議論がありました。非公開なので転載はしませんが、私なりに解釈して書きます。私は、どうもマッカーサーは、昭和天皇のことを好きになったんとちゃうか、と思うてます。初めて昭和天皇が通訳だけを連れてマッカーサーに会いに来た時、どうせこいつは命乞いに来るんやろう、と軽く考えていたマッカーサーは、まあカッコつけもあったんでしょうが、出迎えにも行かんと、部屋で迎えてパイプをくわえて写真を撮らせた、と。


 ところが天皇は、自分のことはどうなってもいいから、どうか国民を飢えさせないでくれ、自分の(皇室)財産も出してもいい、と言わはったそうですね。それを聞いてマッカーサーはぶったまげた、と。「天皇とはこういうものでありましたか」と感激した彼は、お帰りになる時にはちゃんと車寄せまで見送ったんやそうです。たぶんその瞬間に彼は、この人を戦犯にはしたらあかん、と決心したんでしょう。


 まあここまではよう知られた話やと思いますが、今回ちょっと違う視点を教えられました。憲法制定当時、一応戦勝国の一員であったソ連が、天皇処刑を考えていたようですね。一応「連合国」でありながらアメリカ一国支配になってるし、時間が経つとああだこうだ言われるから、マッカーサーは大急ぎで憲法を作らせて、形の上ででもとにかく日本人が自ら制定したことにしたんや、という解釈です。これで天皇は守られたんや、という話です。


 実際、マッカーサーは解任されたあと、アメリカ議会で日本、天皇に対する態度が甘かったんとちゃうか、と追及されていますね。そこで、日本が戦争を始めたのは自衛のためやった、とか、日本はナイーブな12歳の少年やった、みたいな有名な証言をしたわけですね。まあもちろん、自らへの追及をかわす意図はあったにせよ、私はマック君が日本や天皇陛下のことが好きになってしもたんとちゃうかな、と思いたいです。


 というわけで、日本国憲法こそは日本の國體を守ったんや、という見方もできるという話でした。まあそれでも、昭和26年にサンフランシスコ講和条約を結んだときに、さっさと大日本帝国憲法に戻しとかんかい、てな話なんですけどね。まだまだ先は長いな。

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ナニワの激オコおばちゃん

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