今日から「中国」では春節(旧正月)明けの仕事をボチボチ始めるところがあるようです。武漢はきっとボロボロなんでしょうが、他の都市はどうなんでしょうか。何事もまず隠蔽するCHINA政府のことは信じられませんが、最初に「これ、何か変やで」と発信した医師が亡くなったニュースも全世界で報じられました(新型ウイルス、早期警鐘の中国人医師が死亡 自身も感染)。
30代の医師がなんで入院したまま死んでしまうんや?という基本的な疑問はありますが、要はそういう国、なんでしょうね。かわいそうに。一昨日も書きましたが、日本ではちょっとキツめのインフルエンザ、ぐらいの対応でええんやろうか、と思いました。
せやけど今日までいろんな記事を読んで、実はこれは、たまたま助かってるだけとちゃうんか?と思い始めました。今日の宮崎正弘さんのメルマガの「読者の声1」で、落合道夫さんが「肺炎対策を1937年の上海事変の対応を参考に考えてみました。」として投稿してはります。
参謀本部では蒋介石の奇襲を受けて、石原莞爾部長の撤退論と他の一撃講和論に分かれた。石原部長は大陸の戦争は収拾ができない。ソ連が危険である。という常識的なもので正論だった。
しかし石原部長に賛成したのは河辺大佐ら数名で多くは撤退に反対したという。しかし彼らは楽観しており、亡国の泥沼になるとは思わなかった。
石原莞爾は一貫して中国大陸からは撤退すべきと唱えていたことは、よく知られていますね。時の政府が相手を刺激せんようにとユルい対応をしていて、どんどん被害が拡大し、朝日新聞あたりが「暴支膺懲(ぼうしようちょう)」と煽って、大陸での泥沼の戦闘にはめ込まれていったわけですね。あれ?何か、今回の対応と、よう似てへんか?という話です。
つまり、最初にガツンとやらんとあかんということですね。よく言われますが、兵力の逐次投入は絶対やったらあかん、と。目の前の「対応」ばっかりしてて、それがだんだんと大きくなって、ついには引き返せへんようになる、というわけですね。一種の「負けパターン」なわけです。今回も日本の対中投資企業のトップには大損害を予想して保身のための混乱があるのではないかと思う。
情報は、伝染病の歴史である。都市の滅亡も起こる。政権の崩壊も起こりえる。今回は世界的な大混乱になる可能性がある。原理原則では、大事の扱いは先哲が教えるように、最大のリスクを取りそれから可能なら緩めることである。その反対ではない。
つまり、さっさと「中国」からの入国を遮断せんかい、と。そして、何や大したことあれへんかったな、ということになれば、それから緩めて行ったらええわけですね。その逆はあかん、と。落合さんは最後に書いてはります。
安倍首相には中国からの全面撤退の可能性も考え当分感染地からの入国を遮断して様子を見ることを望みたい。マスクをした国賓などまったくありえない選択である。
ホンマや。よう考えたら、「この道はいつか来た道」やんか。日本人、ちゃんと学習してしっかり対応せんと、また間違うで。たまたま今回は(どうも今のところは)、ちょっとキツめのインフルエンザぐらいで助かってるだけなんや、ということですね。
国の防衛は、常に最悪の事態を想定して、まずはそこから対応していくのが大原則、そのためにはさっさと憲法にも、非常事態条項をちゃんと決めて書かなあかんな。現場はそれぞれ懸命に頑張ってるかも知れんけど、実は国家としてはホンマにユルユルの日本政府の危機対応、もっと声をあげて行かなあきませんね。
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