奉祝 紀元節
今日の産経新聞の「正論」で、東京大学名誉教授・小堀桂一郎さんが「令和初の建国記念の日にあたり」を書いてはります。
本年の「建国記念の日」には例年とは少し違ふ特別の意味付けが伴ふ。
なぜならば、
それは、令和への改元が公布され、新帝陛下が一連の皇位継承儀礼を滞りなく済まされての年明けに初めて迎へる記念日であると同時に、本年は『日本書紀』が撰上されて、千三百年の記念年であるといふめぐり合せである。
これも亦(また)言ふ迄もない事だが、2月11日が建国記念の日と定められた、文献上の根拠はその『日本書紀』にあるからである。
一応復習ということで引用させてもらいました(笑)。日本書紀より8年前に太安万侶が撰上した『古事記』は、口語体で叙述されていて、詳細な年代は記されてへんかったそうです。その頃の「国際基準」は漢文やったわけですね。そこで国としての正式な歴史書としての体裁を整えるために、『日本書紀』は建国の紀元以下の、年代記的体裁を備えようとしたそうです。
『日本書紀』では、神武天皇の東征が終わって国内が安定してきたこの年の正月元日に、天皇が橿原の宮で即位したことをもって国の肇め(はじめ)とした、というわけですね。そして当時のその日、「辛酉(かのととり)の年の元日」というのは、干支では庚辰朔(かのえたつさく)の日であることがわかったので、それを現在の太陽暦に直すと、2月11日になったので、明治6(1873)年、この日を紀元節とすることが決められたわけですね。
というわけで、今日は皇紀2680年の紀元節、まことにおめでたい話ですね。ところが何と、GHQによって廃止された紀元節が現在の「建国記念の日」となって復活したのは戦後20年以上たった昭和41(1966)年やったんですね。小堀さんは書いてはります。
歴史を奪はれた民族は亡び、己の歴史を自ら蔑(ないがし)ろにした国家は皆衰頽(すいたい)の途を辿(たど)つた。中には現実にこの地球上に存在の痕跡すら残す事なく消えて行つた民族や文明もある事も記憶されてゐる。
今の私ら日本人、大丈夫か?と心配になりますね。そしたら小堀さんは、紀元節唱歌のことを提案してくれてはります。
別に難しい作業ではない。手始めに、児童達に紀元節唱歌を歌はせ、憶えさせ、国の基、国の御柱とは何か、と考へさせる事から着手すればよい。
恥ずかしながら私は、この歌を知りませんでした<唱歌「紀元節」>。やっぱり戦争に負けて失われたものはまだまだぎょうさんありますね。私は、歌でいえば「海ゆかば」も、「覚醒」するまではタイトルぐらいしか、それもただの軍歌、ぐらいにしか知りませんでした。「歴史を奪われた民族は亡」ぶんやで!
あかんなあ。まだまだ私ら日本人が取り戻さなあかんもんは、いっぱいあるわ。
ツイッターもよろしく
コメント