奉祝 紀元節
私ら日本人は、初代天皇、神武天皇が即位しはった日を建国の日としたわけですね。今日(2/11)の産経新聞の「正論」で東京大学名誉教授・小堀桂一郎さんが「維新の大業の一環『建国記念日』」を書いてはります。
建国記念日制定の動機は、維新政府の首脳達の国家意識の成熟とその意識を広く民間に涵養(かんよう)したいとの要請である。それは当時彼等の眼には先進国と見えてゐた欧米列強に伍して独立主権国家としての面目を備へ、諸外国からの侮りを受ける事なく万民を保全してゆくといふ、国是としての要求を充すための努力の一端だつた。
欧米列強に伍していくんや、という国家意思があったわけですね。こういうことを、学校できちんと教えなあかんな。そしてこの日にしたのは
神武天皇の御即位は「日本書紀」によれば西暦紀元前660年辛酉(しんゆう)の年庚辰朔(かのえたつさく)とされてゐる。これを太陰暦の元日と見ただけでは毎年異同が生ずるので皇紀元年の元日を太陽暦に換算して2月11日と固定させ、明治6年にこの日を紀元節と定めた。故に第一回の紀元節祭は明治7年のこの日といふ事になつた。
この初代神武天皇から万世一系、今上天皇に至るまで、連綿と血がつながってるという、世界のどこにも例のない皇室を、私ら日本人は持っているわけですね。ホンマにありがたい話や。
そして昨日(2/10)の「宮崎正弘の国際情勢解題」では、書評のコーナーで、田中英道さんの『決定版 神武天皇の真実』(扶桑社)を紹介してくれてはります。
天皇譜によれば第十六代仁徳天皇まで、歴代天皇があまりに長寿過ぎること、神武天皇の即位が紀元前660年といえば、まさに縄文時代であり、したがって、戦後長きにわたって神武天皇はフィクションという左翼学者の珍説が歴史論壇を沸かせた。
この、古代の天皇は寿命がやたら長すぎるで、という問題は、今はもう解明されていますね。
日本は天智天皇あたりまで農業暦であり、現在の一年は当時、半年であったから、歴代天皇の長寿を半分と考えると、霧が晴れるように、この謎は先ず解ける。
また世界史の年表と『古事記』、『日本書紀』の年代との照合は、雄略天皇のときにピタリと一致するようになった。ここから逆算すれば、神武天皇の即位は西暦180年頃となると田中氏は唱える。
さらに、神武天皇の「東征」も実話やったと「実証」してはるのが、長浜浩明さんの『日本の誕生 皇室と日本人のルーツ』(WAC)で、この話は私は「神武天皇は実在したし、卑弥呼もおったで。事実に即して建国の歴史を取り戻さなあかん。」で書きました。
この長浜さんは東京工業大学の建築学科を卒業した、理系の技術者ですね。「神武東征」は、「大阪平野の発達史」という古地理図と照らし合わせても、ぴったり符号してるそうです。長浜さんは、神武天皇のご即位を紀元前70年、天皇27歳のとき、と推定してはります。
宮崎正弘さんの記事に戻ると、最後にこう書いてはります。
それにしても多くの挑戦的な著作執筆で歴史学界に波紋を拡げている田中氏に対して既存の歴史学界が反論一つ、声を挙げないのは何故なのだろう。
これもまた古代史の現代的謎である。
あはは、思いっきり皮肉ってはりますね(笑)。もうサヨクはどうしようもないですね。『古事記』『日本書紀』は「神話」、「作り話」やと、ずっと言い続け、日本と日本人をひたすら貶め続けているわけですね。
そろそろ私ら日本人はこういう、日本が大嫌いな連中を、どうにかせんとあかんのとちゃうか、と最近、思い始めています。
森喜朗さんは「日本は神の国」と言うたことに「言いがかり」を付けられて首相の座から引きずり降ろされ、今度は朝日新聞が、いつもの切り取り報道でオリンピック委員会の会長の座から引きずり降ろそうとしています。
日本と日本人が大嫌い、オリンピックを目指して頑張って来た若者の心はどうでもええ、そんなサヨクの連中の汚い心には、もううんざりしますね。昨日書いた小坪さんの「押し紙」訴訟やないですが、具体的に、物理的に、こういう奴らを潰す方策を、ホンマに考えなあかんなと思います。
いつまでも好き勝手はさせへんで、心の汚いサヨクの連中、と言うておきましょう。
【文中リンク先URL】
https://special.sankei.com/f/seiron/article/20210211/0001.html
https://www.mag2.com/m/0001689840
https://gekiokoobachan.jp/blog-entry-690.html
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