日本人は縄文の昔から宗教心を持ってたんや。政教分離は西洋の考え、法律で縛るもんやないで。


 私のお父ちゃんは昭和5年生まれの5男で終戦時は学徒動員中、お母ちゃんは昭和8年生まれの8女で終戦時は学童疎開中でした。そうです、私の親は5男と8女なんです(笑)。二人とも、生まれた時からほとんど兄や姉が面倒見てくれるような「ご気楽」な性格やったように思います。二人の子供の頃の記憶には必ず「空腹」がつきまとう、というのがちょっとかわいそうですけど。

 それでも結果的には幸せな家庭を持って満足してあの世に行ってくれたと思います。あれ、えらい変な出だしになったわ。そんなご気楽な二人やったんで(関係ないか)私の子供の頃には、家の中に仏壇も神棚もありませんでした。

 親戚が集まる法事やお葬式では、お坊さんの読経を聞くことにはなりますが、宗派にも全く無関心でした。恥ずかしい話ですね。両親とも、そんなややこしそうな話は全部、兄、姉に任せっきりやったわけですね。見事に戦後教育の申し子で、宗教的な話は一切無関心、という二人でした。

 なかなか本題に入れへんわ(笑)。7/9の産経新聞の「正論」に、東京大学名誉教授の小堀桂一郎さんが「政教分離原則の根本的再検討を」と書いてはりました。那覇市の孔子廟訴訟で最高裁が違憲判決を下したことに関する考察です。

 去る2月24日に最高裁大法廷は那覇市の孔子廟が市の公有地を一時期無償で貸与されてゐた事の是非をめぐる住民訴訟の事件に対し憲法20条3項<国及びその機関は…いかなる宗教的活動もしてはならない>との禁令に違反する事例として違憲の判決を下した。

 私は、孔子廟自体は「中国」のうさん臭い沖縄浸透のための道具やろうし、それを「宗教活動」とみなして国の機関がそれに対して便宜を図ったりしたらあかん、という判決になったことは良かったとは思います。せやけど、今回の判決の合憲・違憲の線引きが、必ずしも明快ではないのではないか、というのが小堀さんの問題提起のようです。

 これでは今後もなほ生ずるであらうこの種の政教関係訴訟に対し合憲違憲の岐(わか)れ目は事例の宗教性の濃淡にあり、その黒白の中間部のどの辺に一線を引くかは各裁判官が宗教といふ人間の精神活動を如何(いか)なるものと把握するかに懸つてゐると暗示してゐるに等しい。
 そこでこの判決に接する我々としては、憲法の保障する<信教の自由>、禁止する所の<国の宗教的活動>といふ時の「宗教」とは人間の如何なる精神活動を指してゐるのか改めて根本的な考察と定義を要求したくなる。法曹界のみならず、知識人社会一般に対してもこの要請は向けられてよい。

 そこで小堀さんは、最新の自由社の『新しい歴史教科書』で、「我が国の縄文時代の文化の記述が至つて丁寧なものになつてゐる」と評価してはります。

 日本人の宗教心の起源が縄文時代の文明の内にある事を普通教育の教科書が明記したのは或る意味で劃期的(かっきてき)な事である。

 そうなんです。最近の縄文時代の研究は、めっちゃ進んで来てるんですね。

縄文文化は現代の我々と同じ日本人の歴史のうちであり、その時代に我々の先祖は自然の恵みへの感謝と自己の現存在の原因としての祖先の崇拝といふ「宗教」を有してゐた。そこで人々の営む祭(まつり)は現代の祈年祭や新嘗祭(にいなめさい)の前身であつた。その祭を行ふ祭祀共同体が村落の、そしてその集合が国家の起源であり、成員を世界観の上で統合し、相互に和合せしめる作業がまつりごとであつた。

 そうそう、これって、「宗教」なんか?そして小堀さんは締めてはります。

 日本人の宗教心と実生活に於けるその発現様式である祭祀には、以上の如く約5千年の沿革がある。一方西洋近世に於ける国家と教会の覇権争ひの妥協の所産たる政教分離の思想が輸入され、法制に位置を占めた歴史は漸(ようや)く70年余である。此(こ)の事実を念頭に置いて考へてみれば、宗教性の存否を法的に問ふ事の非は自明であらう。

 日本人はもともと宗教心をちゃんと持っていて、既に5千年も祭祀を続けてきてるんや。何か知らんけど西洋では「政教分離」せなあかんとか言うてるけど、そんなん知らんわ。まだ70年やし、というわけですね。

 やっぱりそうや!神道とか神社は、西洋的な意味での「宗教」とは違うんや。杓子定規に公権力は宗教に加担したらあかん、などと言うと変なことになるで、という話ですね。一応、たとえば地鎮祭のために市が公金を支出しても違憲にはならへんという判決は出てるんですけどね(津地鎮祭事件の最高裁判決)。

 戦後、全ての神社が「宗教法人」となって、各都道府県の管轄下におかれることになったわけですね。その総元締めが伊勢神宮、神社本庁で、その所轄が文部科学省、と。何か変やで。今すぐどうこうではないにしても、神社については戦前の形に戻してほしいなと思いますね。

【文中リンク先URL】
https://www.sankei.com/article/20210709-IYZFWYZ6YVO6PLMSKNGYW4WDUA/?720223
https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1318553.htm


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コメント

  1. やましろや より:

    大和朝廷以来の侵略者が「縄文」を語るとは呆れますな。

    扁平で吊り目の畿内弥生人にだけは「縄文」を語って欲しくない!

  2. 八目山人 より:

    土偶は、縄文人が食べ物が取れますようにと神様に祈るのに使ったのではという解釈が最近出ましたね。土偶は1万年前の物が出ています。
    ちなみに遮光器土偶は、里芋をかたどったフィギュアだそうです。

  3. 日本を愛する日本人からひと言! より:

     縄文時代は3万年前からでしたっけ?今、和暦で2681年、西暦で2021年と比べて途方もない長い間我々の祖先は戦争をする武器なしで生活されてきました。神話とつながる皇室の物語はまさに世界史に希なる事象ですよね。
     アメリカ245年、シナ72年、ドイツから英語のしゃべれない王様を呼び寄せた英国は建国が982年。
     神武天皇から126代、今上陛下まで綿々とY遺伝子を引き継いできました。遺伝子工学などない時代から昔の人たちは理解されてきていたのでしょうね。
     西洋で女性が文学作品を書いたのは1800年代。紫式部から1000年も後です。万葉集に記された女性の和歌をみれば如何に日本では男女平等、階級もない素晴らしい国だったことがわかります。
     女性蔑視の西洋からLGBtだの夫婦別姓だの国連その他から言われたくありません。今、男女共同参画とやらで費やされている金額は10兆円を超えているそうです。アホか!その分全部国防に回してもらいたい。
     神道には教祖も経典もなくいわゆる一般の宗教とは異なります。宗教などに当てはまるものではないと思います。
     皇室の存在を世界が羨むなか日本人がそのありがたさに気づいていません。空気や水と同様なんでしょうね。
     小室圭坊が女性宮家の恐ろしさを日本人に理解させてくれましたが日本破壊活動に専心する野党にはバックがありますから留意しましょう。
     広告塔よろしくお願いいたします。

  4. mibu より:

    ネズさんの動画を見ている人は分かると思いますが史学会と言うところがまともじゃないんですね。
    GHQ統制下ですべてを否定するところから始まったんですが、考古学的資料を見て判断するのは良いんですが、あまりにも恣意的解釈をしている。
    「普通に考えましょ」アガサクリスティー、ミスマープルの口癖ですが史学会は普通じゃないんです。
     邪馬台国をなんで「やまたいこく」と読むのか?音読みなら「じゃまたいこく」となるはずだし。訓読みなら「やまとのくに」となる。
    歴史学者たちは大和朝廷の成立を大化の改新時まで遅らせたいだけです。
    資料にないからと聖徳太子も消されました。
    渡部昇一先生が言っていたように考古学で割り切ることが間違いなんですが、発掘が進むにつれて戦後歴史学者の嘘がばれている。
    バレた場合は知らんぷりが彼らの常とう手段。
    大学教授くらい首にしろよと思いますが、戦後利得者特権は絶対的に守られます。

    「普通に考えよう」と主張しているのがネズさん。その推理は正解にたどり着いているのではないでしょうか?
    将来的には定説になる可能性大。

    その前に独立したというならGHQ的解釈はやめるのが当たり前。
    独立できてないんですよ、日本人を洗脳し続けるのが文科省、日教組の役割。

  5. あのなのな より:

    パチパチパチ.

    おばちゃんとこ、神羅万象にも口出しするというので、
    毒くわばサラまで。

    ネタ。

    邪馬台国はなかったという学者さんがいます。(みぎ)
    とびつく博識の情報通のMMさまもいます。
    どうせなら、日高見国探訪を極めてはいかがでしょうか。

    三世紀のこと、やまたのおろちよろしく、平地には住めないみたい。
    しかも、倭国大乱のあと、鬼女のひみこが登場したんだと。

        あったことない。

     飽きたので、またね。