戦時徴用された朝鮮人で日本に残留したのは245人、全員が自由意志。強制連行はウソやで。


 私は今の韓国の政府が大嫌いです(笑)。政府が嫌い、と言うのは考えたら変な言い方ですが、明らかに日本人が怒るようなことを、次から次へとやってくる政府のことを、好きになれるはずがあらへん。しかもやって来ることが余りにも幼稚でレベルが低くて、議論すること自体には意味はないと思います。

 議論ではなく「対応」あるのみ、ですね。たとえばフッ化水素の輸出管理の正常化、みたいな。日本にとっては「日韓関係が最悪」と言われても、原因がすべてあちら側にあるので、どうしようもないだけの話ですね。「関係」を良くしたいと思うんなら、そちら側から「対応」を変えて来なさい、と。

 ここ10年ほどで、ようやくここまで来ることができたわけですね。今なお韓国側が言うところの「徴用工」のウソ話、インチキ裁判の話もそうですね。強制的に日本政府に連れて来られて働かせられた、というウソです。ウソやからこそ日本は、韓国側の裁判の結果を一切受け付けへん「対応」をしてる、と。先日またちょっと動きがありましたがもう、どうにもなりませんね。

 ただ、日本がこういう「対応」ができるようになった裏には、多くの日本国民の大変な努力があったわけですね。そんな努力の一つが何と、高市早苗さんの11年前の国会質問でした。戦時中の朝鮮人徴用労務者のうち、戦後も日本に残ったものは245人のみで、それは自由意思で残っただけやということを、一次資料によって国会質問の中で明らかにしてくれはったわけです。

 このことは高市さんのブログの中にも書いてはります(「在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに戦時中の徴用労務者について」という外務省資料)。ネットにはこの時の動画も出回っています(高市早苗代議士に『朝鮮人強制連行論説』を論破して戴きました!)。

 改めて今思い出して見ても、この頃(2010年3月)はあの悪夢の民主党政権の時でした。高市さんはこの時の質問によって、いわゆる「外国人参政権付与」の話をぶっ潰してくれはったわけです。昭和34年に外務省が作成し、発表した「在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに、戦時中の徴用労務者について」という資料ですね。

 この資料を外務省から発掘してきた経緯について、高市さんは上のブログの中でこう書いてはります。

 鳩山内閣には、「日韓併合条約によって戦時徴用された朝鮮人が、戦後も日本に残ったものの、サンフランシスコ講話条約によって日本国籍を失った(当然、選挙権も喪失した)」という理由をもって、外国人への参政権付与が必要だと主張しておられる閣僚が複数おられます。
 鳩山総理大臣も、「今年が日韓併合100年のタイミング」であることをもって、外国人参政権実現を期する旨の発言をされています。
 そうなると、外国人への参政権付与の是非を議論する際には、「歴史的経緯の有無を参政権付与対象者の決定要件とするのかどうか」が論点となり、仮に歴史的経緯を有する外国人に限定して参政権を付与する場合には、戦時徴用された朝鮮人の正確な数や戦後も日本に残った事情などが、重要な判断材料となります。

 そしてネットでは有名な「245人」の話は、この「外務省資料」には次のように書かれている、と。

3、すなわち現在登録されている在日朝鮮人の総数は約61万であるが、最近、関係省の当局において、外国人登録票について、いちいち渡来の事情を調査した結果、右のうち戦時中に徴用労務者としてきたものは245人にすぎないことが明らかとなつた。
 そして、前述のとおり、終戦後、日本政府としては帰国を希望する朝鮮人には常時帰国の途を開き、現に帰国した者が多数ある次第であつて、現在日本に居住している者は、前記245人を含みみな自分の自由意志によつて日本に留まつた者また日本生れのものである。
 したがつて現在日本政府が本人の意志に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き1名もない。

 在日韓国人は、「強制的に連れてこられたんやから選挙権をよこせ」と言うてるけど、それ、ウソですから、という話ですね。産経新聞ではこの質問の件はちゃんと報道していたようです。いやあ、高市さん、しびれますねえー(笑)。

 今から考えたら高市さん、あの民主党政権の時によう言うてくれはりました、ありがとうございます、やな。実はけっこう危ないとこやったわけですね。それにもかかわらず、いまだに「外国人参政権付与」を言うてる政党が日本にあること自体、トンデモない話ですね。

 反日の野党からはもちろん、自民党の中の怪しい奴らから、けったいな法律案を上げて来られても、片っ端からバッサバッサと斬り捨てていってほしいですね、高市政調会長。まだまだ戦いは始まったばかり、やな。これからも高市さんを応援して行きましょう。

【文中リンク先URL】
https://www.sanae.gr.jp/column_detail415.html
https://www.youtube.com/watch?v=-NsZ-9Bxp6w


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ナニワの激オコおばちゃん

コメント

  1. 金 国鎮 より:

    戦前朝鮮人を支えたのは天皇・皇族・旧日本軍、特に朝鮮総督府の支援が多きい。
    朝鮮人は日本人として全国各地に移り住んだ。
    これは逆も同じ。
    強制徴用はその言葉を必要とした集団が日本人にも朝鮮人にもいた。
    朝鮮総連はその極みである。
    彼らは日本人以上に朝鮮人を今も嫌う朝鮮人であるがそれに気づく日本人はきわめて少ない。
    強制徴用を連呼した日本の大手メディアは戦前朝鮮人を鮮人という蔑称を使って恥じなかった連中である。
    彼らは今も同じである。

    戦前の旧日本軍によって政治的に排除された官僚が戦後アメリカに取り入って日本の権力の座に就いた。
    これは今も続いている。
    彼らが朝鮮人・台湾人をどう見ていたのかは戦後間もなく出てきた。
    戦前朝鮮人・台湾人を支えていた天皇・皇族・旧日本軍が政治の舞台から消えるや否や官僚は朝鮮人・台湾人を戦後日本の行政から外した。
    彼らはそれほど朝鮮総督府・台湾総督府の軍人そして関東軍の軍人を恐れていた。
    彼らはアメリカから手に入れた権力を保持するためには何でもするということだ。吉田茂はその代表だろう。
    後付けの理屈はどうでもいい。
    これは今も続いている。

    亡くなった高松宮は戦後日本の韓国人を励ましていたのは知っているが日本の大手メディアは一切報道しなかった。
    日本の韓国人は日本の大手メディアを信じないことだ。

  2. 波那 より:

    国民徴用令は一九三九(昭和一四年)に発令されましたが、半島の人達で徴用で日本に来たのは終戦の前年の1944年9月から翌年の3月迄の7か月間だけで245人のみ。あとは全部、自発的に(要するに釜山〜尼崎航路の〈君が代丸〉などで戦前から戦中を通して出稼ぎで来て、戦後のGHQの帰還事業で帰国を拒んで居座った人達と朝鮮戦争中に逃げ出して密航で不法に)密入国したまま居座ったままの人達ですからね。戦時中既に内地では食糧難が始まっていて半島からの入国を制限していたのに、それでも雪崩れ込んで来ていたのに、わざわざ半島にまで出かけて【強制連行!!】とか、よくもそんな大ウソ話を拵えましたよね。私がネットを始めた頃からでも在日活動家の辛淑玉とか李シネとかが盛んにエゲツない嘘話を流布してましたね。憲法で禁止されてる外国人への生活保護とか犯罪の温床となっていた在日特有の複数通名、何度でも変更可能だった通名などいわゆる在日特権の数々はこの強制連行を元にしてのユスリとタカリで手に入れて来た物で、ネットが普及しなければ日本人に知られる事もなかったでしょう。

    一方の台湾の人達は、日本人と同じ様に徴用が始まり、こんなに沢山の人達が徴用されていました。

    日本の敗戦までに日本兵として軍務に従事した台湾人は8万人を越え、軍属として志願・徴用された者を含むと合計約21万人の台湾人が日本軍と共に戦った。 wiki

    ・徴用工問題の真実を明確に示せ
    給与やボーナスも出ていた差別無し待遇
    https://www.zenkyokyo.net/assert/1824

    全国教育問題協議会 副理事長 恒﨑賢仁(東京都)

    ●意外な事実、給与だけでなく、賞与、奨励金、各種手当も差別なくきちんと支払われた

    いわゆる徴用工問題で、当時の朝鮮人は虐待され、不当な差別を受けたと韓国側は主張しています。

    韓国映画『軍艦島』(二〇一七年/監督:柳承完)でも、「強制徴用」された朝鮮人少年らが劣悪な環境で労働を強いられている姿が描かれていますが、これは韓国お得意の妄想、ねつ造の産物としか思えません。なぜか。

    〈画像〉
    ▲歴史の捏造ばかりの韓国映画『軍艦島』(二〇一七年/監督:柳承完)中国語版

    私の父は台湾生まれで、日本で徴用された経験があります。過去の資料を見ると、意外な事実が浮かび上がってきます。

    父、鄭新発は1924年6月8日、台湾の台北市で生まれました。

    鄭根源(1889年2月7日生まれ、1934年9月6日死亡)と、李秀(1894年10月8日生まれ、1925年6月17日死亡)との間の四男として生まれました。苗字からわかるように、父親の一族は、近松門左衛門の国姓爺合戦でも有名な台湾の英雄、鄭成功(父は中国人鄭芝龍、母親は、長崎の平戸の日本人田川マツ)の一族、末裔であることを誇りに思い、死ぬまで日本に帰化することはありませんでした。

    〈画像〉
    ▲父・鄭新発の国籍許可証書(戸籍証明書)
    鄭新発の母親は二歳で亡くなり、父親は十一歳で亡くなったので、台湾の台北の靴の製造業をしている親戚の家のもとで、高等小学校を出たあと働いていました。

    十六歳の時に福岡県田川市で洋品店など商売をしている恒崎家の久右エ門が、台湾に靴の買い付けに来たのをきっかけに訪日、そのまま店員として働くことに。

    〈画像〉
    ▲① 昭和18年、台湾人の父・鄭新発に福岡県知事から送られてきた徴用令書

    そして、一九四三年九月十七日に徴用令が来て、同年九月二十五日、列車で三菱の長崎造船所に行き、そこで働くことになりました。長崎造船所の給与は、一九四五年七月分まで給与袋があります。

    原爆が投下された同年八月九日、他の工員の調子が悪いので早朝から船のタンクの溶接を行っている時に被爆、運良く、船の底のタンクの中にいたため九死に一生を得ました。

    爆発音がすさまじく、耳が数分聞こえない状態だっただけで、原爆の後遺症などは七十八歳過ぎるまで何もなく、元気に毎日働いていました。

    〈画像〉
    ▲台湾人の父・鄭新発でも日本人とまったく同等に与えられた長崎造船所の慰労金や表彰記念金。韓国側の主張はまったくの誤謬であることの証明になっている

    父は終戦後、一九五〇年頃に独立し、恒崎家の六女登久惠(一九二七年四月二十三日生まれ)と結婚。亡くなる七十九歳まで瑞芳商店という機械のリサイクル業を営み、成功して、現役で働き続けていました。

    入院して約一カ月あまりの闘病生活の後、二〇〇三年八月十七日、肝臓と腎臓の病気で他界しました。突然発症した肝臓病の原因については不明なままでした。長崎の原爆の後遺症の可能性もあったようですが、ずっと元気でしたので、周囲の人が勧めても原爆手帳も被ばく手当なども「全くもらう必要がない」と固辞し続けていたのです。

    子供は二男三女おり(筆者もその一人)、全員大学まで出して、孫も十三人いました。家族全員に見守られながら亡くなりました。今年で十七回忌の法要にあたります。

    徴用先の長崎造船所のことは、原爆後のケロイド状態の遺体の安置作業についてなどは、余り口を開くことはありませんでした。ただ、給与だけでなく団体出勤賞や賞与などもきちんともらっていたこと、一緒に働いた日本人の工員とも差別されることなく仲良く働いていたことを生前話してくれていたことを覚えています。以下略

    (証拠となる数々の資料の画像が出ていますので御覧になって下さい。)

  3. 波那 より:

    一方で、無理矢理連れて来られたわけでもない、勝手に入り込んで、日本人の土地を奪い(全国各地の駅前一等地のパチンコ屋だけではない)、勝手に居座ってるのに被害者のフリの在日は思い上がって、こんな事まで言っています。

    ・在日コリアン「私は天皇制反対です。如何なる権力も持たせるべきではない」

    葛根湯@peach_fat_free
    天皇制維持しながら公平な社会を!って、奴隷として平等に足並み揃えよう、くらい矛盾した話なので私は天皇制反対です。あと現行の方は柔和さ漂わせながら公務に積極性出してくるから怖い。如何なる権力も持たせるべきではない。
    https://twitter.com/peach_fat_free/status/1444167672824938496

    韓国籍ですから、彼らには当然、韓国の参政権が与えられてますから日本人ではないのに、どこまで思い上がりを許してやっていれば、こんな事が口から出るのか?やはり反天連やってる連中は共産党員とこの人達なのでしょうね。

    ・韓国人による沈韓論 – シンシアリー

    https://books.google.com/books/about/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E6%B2%88%E9%9F%93%E8%AB%96.html?hl=ja&id=FfckDwAAQBAJ

    この本の、〈項目〉知られざる併合当時の天皇家からの、かくも手厚い支援、の中で明治天皇が日本帝国の国庫から当時の金額にして三千万円を李氏朝鮮に御下賜された事が書かれています。

    1895年に日清戦争に勝った日本は支那から台湾と朝鮮を割譲され台湾の方は翌年から統治を始めましたが、朝鮮の方は独立させ保護国としただけで侵略なんかしてませんね。事実、独立した朝鮮は大韓帝国などと言う国名を名乗っていたでしょう!併合は朝鮮側が望み、何度も明治政府に嘆願に来ていました。ですが、朝鮮併合は伊藤博文公が頑強に反対していました。伊藤博文公を暗殺したのは併合派だった安重根で、併合が始まったのが1910年でしょう。だから〜侵略も収奪もしていませんけどね。李朝の李根殿下には梨本宮家の方子妃まで、陛下の御命令で嫁がれたぐらい朝鮮は皇室には丁重に扱われていたと言うのに。皇室から受けた恩が有っても虐げられたことなどないのに、いつまで、この人達を日本にのさばらせ言いたい放題、やりたい放題させて置いてやらねばならないのでしょう?許さない。

  4. モンク より:

    「天皇制」と言う言葉を見て 直ぐに共産主義者と解ります。
    「天皇制」と言う言葉は 戦後共産党が作った造語です。
    正確には 「立憲君主制」が正しい言葉ですよ。

  5. ななし より:

    昭和初期の国家論争の中でマルクス主義用語として登場し,社会科学用語として定着した日本独特の君主制を指す用語。狭義には明治維新から第2次大戦での敗戦までの近代天皇制を指すが,広義には古代天皇制,戦後の象徴天皇制なども含まれる。また,天皇制は単に国家権力概念としてだけでなく,イデオロギー,社会秩序,精神構造を含む概念として使用されることがある。ここでは近代天皇制について述べる。
    https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%88%B6-102684

  6. 018 より:

    >戦時徴用された朝鮮人で日本に残留したのは245人、全員が自由意志。強制連行はウソやで。

    それでも、そんなことで引っ込む反日勢力じゃありま鮮でw
    その方達と、悪意ある侵略目的勢力or窃盗や寄生目的グループなニューカマーと
    まじぇまじぇして判らなくした。
    それらの方々と、書類的形式上に…表現はどうでもいいが全く同じに均したはず。
    外国人登録許可証?でしたっけ?それがなくなりどれもこれも同じ扱い。
    乗っ取られている日本では何でもありですよww
    何を今さらです。