事前の作戦通り戦えば勝てたはずの大東亜戦争。同じく岸田内閣は「中国」に敗北まっしぐらやんか。

 今日8月15日は終戦記念日、別に休日ではありませんがお盆やということもあって、一般の普通の日本人は、仕事が休みの人が多いですね。高校野球ではいったんプレーを止めて黙祷を捧げる、と。当然というか、日本人として普通の感覚ですね。

 そして高市さん、萩生田くんは靖国神社を参拝しましたね。こんなんがニュースになること自体がおかしい、という人もネットでは多くいました。とは言え、靖国神社としてはこの日は特別なものではなく、大事なのは春秋の例大祭とみたままつり、なんやそうです。

 ん?秋の例大祭に岸田くんが、参詣する?ないない、もう期待するのはやめましょう。一国の元首が、そして総理大臣が、国の為に命を落とした人の霊を敬い、お参りすることに文句を言う外国のせいでそれをやめるなんて、アホか、なんですが、それをやったのが中曽根康弘でしたね。愚かの極みでした。

 さっさと元に戻せ!今こそチャンス!やったのになあ。今年、来年でも、首相が参拝でけへんかったら、それこそ日本滅亡の日は近い、と言うておきましょう。「日本は戦争を仕掛けた悪い国」というウソをそのまま信じてるアホが、私ら日本国民の中にもまだまだいっぱいおるということですね。橋下徹くんもその一人、と。

 何をどうしたら、日本国民をいまだに覆うているこの自虐史観を払拭できるんやろか、多くの人が懸命な努力をしていますし、どんどん真実は知られるようになって来てるとは思いますが、まだまだですね。あ、マスゴミがガンなのは、今さら言うまでもありませんが。

 まずは「太平洋戦争」の語を葬り去りたいですね。事実に照らして、日本は太平洋でアメリカとだけ戦うてたんとちゃいますからね。「先の大戦」は、閣議決定された通り、「大東亜戦争」と正しく呼びましょう。変えるんやったら閣議決定せなあかんはずやんか、と。

 さすがにサヨクのアホどもは、ちょっとはマズいと思てるのか、「アジア太平洋戦争」とか、「インド太平洋戦争」とか言い始めてる人もおるとか。おいおい、ごまかしたらあかん、「大東亜戦争」や。

 そしてよくある誤解が「日本は(ポツダム宣言で)無条件降伏した」という話ですね。ポツダム宣言は日本「軍」の無条件降伏を言うてるだけの話ですね。それが証拠に、それこそ8月15日の「玉音放送」では、「国体を護持し得て」の言葉が入っていますからね。

 玉音放送は正式な「詔書」を読み上げたもので、まさに国の意思がそこにまとめてあるわけですね。歴史を語るには、まずはこの詔書が言わんとすることををしっかりと理解するのは、日本国民としては当然のことやと思いますね。

 戦争に負けてしもたことは事実ですが、実は日本軍は、元々は勝利の方程式をちゃんと持ってたことが明らかになっていますね。真珠湾攻撃は愚策中の愚策、絶対にやったらあかんことやったんですね。あーアホらし。あ、今さら山本五十六を批判するつもりもありませんよ、彼にしても、ただのコマやったわけですからね。

 ルーズベルトは当時始まっていた第二次世界大戦に「不戦」を掲げて3選を果たしたばかり、日本がアメリカを攻撃せえへん限り、絶対に参戦でけへんかったんですね。アメリカの虎の尾を踏まずに南へ出てまず石油を確保し、インド洋へ出てイギリスの補給路を断てば勝てたんや、という話ですね。

 まあ今さら言うても詮無い話ではありますが、今を生きる私ら日本国民は、そしたら今の今、日本は勝てる戦争を負ける方向に持って行かれてへんか?ということを、もっともっと真剣に考えんとあきませんね。世界が「中国」を「はみご」にしようとしてる中、何と親中派として誰もが認める林芳正外務大臣を留任させてしまいましたね。正気か?岸田!(怒)

 あるいは、世界中がコロナ禍を乗り切るために大規模な財政出動をして、それぞれがうまく乗り切っている中で、日本の財務省だけが何としても大した財政出動もせずに逆に、緊縮財政、増税を進めようとしている、そんな内閣にしてしもたわけです。

 そんなドケチ内閣は防衛予算さえも、とにかく抑えようとする方向に動くことは火を見るより明らかな、今回の内閣改造でした。もうこれはどう考えても、亡国まっしぐらやんか、というわけですね(櫻井よしこ氏 岸田改造内閣をバッサリ「こんなに危機意識に欠けた組閣ありうるのか」)。

「5日に組閣っておっしゃったので、すごく国防に備えた組閣なされるのかなと思って。ふたをあけてみたら、私とってもがっかりしたんですね。各派閥に目配りをしたバランスの良い内閣といえばいえるんでしょうけど。国防意識、危機意識、全くゼロ」

「防衛力を強化しなきゃいけないという局面において、こんなに危機意識に欠けた組閣ってありうるんだろうかっと、今回の岸田さんの判断、すごくおかしいと思います」

 これはもう、ヘタしたら「第二の敗戦」への布石になってるんやで。こんな戦時、危機にあって、平時の派閥均衡、財務省偏重の亡国内閣を作った岸田くん、そろそろ本気で日本国民は声を上げんと、ヤバいですね。

【文中リンク先URL】
https://news.yahoo.co.jp/articles/2d338529b8317a0f819eb93adc8815d523fa20cc


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【ナニワの激オコおばちゃん】

コメント

  1. 寺島 孝 より:

    激オコ様

    元気なご様子、なによりです。

    8月15日今朝早く娘一家と今年も靖國神社へ参ってきました。
    今年は特にこんなことを思いながら参りました。

    先の大戦は終戦、敗戦という認識が一般的ですが。
    しかしその目的を達成したと言う点で、日本は勝者だという見方は間違ってはいないと思います。
    末端の兵士でさえ、人種差別は止めろと言っていました。出征した兵隊さんの書いた本から、そういうことなんだと知りました。

    500年続いた白人による植民地支配から、アジア諸国が独立を果たしていく、そしてアフリカが続く、そこに日本が果たした役割が大きい、厳然とした事実です。アジア、アフリカの首脳が深い謝意を述べた記録が沢山あります。そういうことを日本人は認識しないといけないですね。

    そしてここでもう一つ。
    昭和天皇陛下は “矛を収めること” を以前から決められていたかもしれない。戦争には反対されていたから。
    でもその決断にはきっと大変な葛藤があったと思う。敗戦となった後、どんな過酷な仕返しが国民に襲い掛かるか。
    何故陛下が矛を収める決断をされたのか。それは終戦の詔勅に述べられている。世界中の言葉で最も信頼されるものだろうと思います。 それとは。

    アメリカのやり方、日本全土の非戦闘員の上に爆弾を雨あられと落とし、あまつさえ残虐な原爆で非戦闘員の大量虐殺をした。
    これはルールもへったくれもない、ごろつきのどつきあいと同じであり、戦争ではないからだ。
    戦争とは軍人さん同士がきちんとしたルールの下に行うものです。

    そんなごろつきのどつきあいを日本軍がしてはけない、これ以上一般国民が悲惨な大虐殺に遭ってはならない、とお思いになったからだ。 
    そしてそんな厳しい状況にいながら、なお世界の平和を考えておられた。
    そしてそんな陛下に耐え難きを耐え、従った日本人みなさん。

    つまり先の大戦、アメリカはあまりのルール違反、つまり反則負けです。日本全土、非戦闘員の上に雨あられの爆弾。あげくは実験のための原爆2発。人類史上これ以上ない悪行です。恥ずかしくないのでしょうか?
    戦争とは軍人同士の戦い、という世界中の決まりがあります。日本の軍人さんはどんな劣勢になっても守り通しました。
    故にアメリカは反則負けの敗者、つまり勝者は日本です。

    その前に、イギリス、フランス、オランダも日本軍にあっさり負けています。
    物量に圧倒的に優るアメリカと激突しました。が、アメリカは圧倒しながらルールを破るのです。こういうのを野蛮人と言います。
    日本こそが真の勝者というのに相応しいのではないでしょうか?

    ま、77年前のこと、アメリカを非難しても仕方ありません。大事なことはそういうことはしない。どんなことがあっても約束は守るということではないでしょうか。
    私達のお父さん、お爺さん、曾おじいさん、そして銃後を守った御婆さん、みんな誇りをもって戦ったのです。そういうことをちゃんと認識すべきです。そして私たちの子や孫に伝えるべきだと思います。
    今回はそんなことを思いながら参拝しました。

    寺島 孝 拝

    • mibu より:

      日本が負けていない感覚は多くの将兵にありました。
      独立への戦いは敗戦後も続き東南アジアは独立した地域になりました。
      東南アジアはずっと日本に感謝していた。
      海外では植民地勢力は力を失うんですが、日本国内での敗戦は昭和20年に始まる。
      日本は完全に作り替えられてしまいました。

      戦前の空気は昭和40年代には完全に失われる。
      南京大虐殺、田布施論、731部隊。
      外国勢力による評価が客観的と見なされるようになる。

      日本の負けが確定するのは1990年、海部の謝罪外交から。
      日本に感謝していた東南アジア諸国は驚きました。
      そして日本への感謝から日本軍の残虐行為へと教育方針が転換される。

      昭和20年から反日教育をしていたのは韓国のみ。
      米国では卑怯で悪辣な民族と言う教育がされていましたが、それ以外の国では特に日本を悪く言う教育は無かった。

      東南アジアの反日教育は1990年から、中国ではもっと遅れて1995年から。

      日本を憎んでいるのは外国よりむしろ日本の高級官僚。
      偉くなるには戦後史観に忠実になる必要がある。

      靖国神社には必ず行くと勢いが良かった安倍首相は一年も経たずに行けなくなります。
      誰が首相になっても売国政策は微動だにしません。
      誰の目にもエージェントであることが明らかな竹中平蔵を拒否できる内閣はありませんでした。

      マスメディアや左翼評論家は問題点をはぐらかし我々の目にベールを掛ける存在です。

  2. 禿げ親父 より:

    激おこ殿、投稿の間隔が空いていたので心配しました。私も最近腕骨折で入院しましたが歳を取ると入院はキツイ事身に沁みました。どうぞお身体ご自愛ください。
    さて、私も1995年ごろから朝鮮人問題をきっかけにいろいろ知るところが多くなり、最近強く思うところがあります。それは「歴史的流れの変化はすべて偶然ではなく悪意の作為によ  る」と言うこと。
    大東亜戦争に関わる作為性はもちろん、今回の安部元総理暗殺とその後の政界変化(日本国内のDSの反撃)と言う流れはあまりにも奇妙で悪意がなければ成り立たないように見えます。JFK暗殺事件のように今後背景や計画性が明らかになっていくのではないかと。
    しかし今はアメリカはじめ日本でもDS(悪意の集団)側攻勢のターンとなっているようですね。年末までこの様相はますます激しくなりイライラは続きそうです。

    • 波那 より:

      昨日、靖国神社へ天皇陛下の御親拝を賜れなくなった経緯を小坪先生の所で中国に中曽根が媚びた事を少し書きましたが、さっき黒木さんの新記事を読んでたら適確に経緯を指摘されていましたのでシェアします。

      途中から
       『靖國の英霊よりも胡耀邦を大切にした中曾根康弘は、そこのところをよく分かっていた。中曾根はヘンリー・キッシンジャーに媚びて「保守派の首相」を演じていたけど、その演技は見え見えだった。産経新聞や正論は、後から気づいて赤っ恥をかいている。中曾根の大罪は色々あるけど、その一つは大勢の支那人留学生を招いたことだ。日本の学校で支那人を育成するなんて言語道断。日本の敵となるエージェントを世話するなんて売国行為だ。田中派を乗っ取り、角栄を裏切った竹下登は、何兆円ものODA(政府の経済開発援助)を支那に垂れ流したが、これだって米国では問題にならなかった。金丸信が訪鮮した時、金日成と密約を交わしたけど、これも不問に付されている。北朝鮮を利用したい米国からすれば、金丸なんか一介のチンピラ議員に過ぎない。』

      危険な支那を育成してきた日本 / 附録「落合信彦」の逸話
      http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68906846.html

      • mibu より:

        >波那さん

        歪んでます。
        人の意見じゃなくて自分で考えましょう。

        ネオコン、リビジョニストが牙をむき始めるのはブッシュ政権になってから。
        それまでは日本は独立国家としてやっていける認識だった。
        プラザ合意には金融緩和で対応、
        政府日銀によるバブルつぶしがなければ先の大戦を上回る経済損失の生じなかった。
        マスメディアに操られる哀れな日本人の姿があります。

        中曽根は岸信介と同じく日本の独立を目指した政治家です。
        功績はあったのですが海部政権ですべて反故にされてしまって、なにも残っていません。

        いろんな論があるんですよ、僕はほとんどが工作だと思っています。
        貴重な意見だと思うのは林千勝さんや伊藤寛さんあたり。

  3. みやこ より:

    岸田の外交は、昭和初期の幣原外交のようだ
    媚欧米が媚中になっただけ
    やはり役人階層は明らかに政治に向いていないのだ

  4. ナポレオン・ソロ より:

    220816ー2
    ソロです。
    >>昨日の終戦記念日に思う事
    今年で77回目ですよね、この日に生まれた人が喜寿を迎えるんですから、もぅ昔になったといっても良いでしょう。 1世代25年で測るので、もぅ3世代も含まれていて、その第一世代が団塊の世代なんですね。 因みに昭和29年生まれの私もその端くれt¥ですね。

    唯、神戸に出て来て早44年目になりますが、戦争に対する認識にWGIPの影響が色濃いなぁと最初に感じた思いは、未だに強いですね、因みに私の郷里の鏡島では、地方にもよりますが薩摩半島の阿多地区と呼ばれる昔の海人族の本拠地で隼人族の原点では、本土決戦に備えて軍事訓練も盛んだったし、戦死者も多い所です。

    だからお墓に金文字で戦死した場所や日付気が結構長い文章で刻んであるのは珍しくありませんでした。

    戦争に負けたのは、昭和帝の大御心だったとしか、思っておりません、だって、負ければ家元首として戦争の最高責任者なのだから、まず間違いなく処刑されるが、国体の維持を意味する皇統の維持は認めさせたので、此れ以上勝てない戦争を一兵卒迄残らず全滅させて、日本に明日と言う未来が有るのか?

    と陛下は呻吟為された、その結果が、遺書としか思えない小羽扇のご詔勅です、曰く、私が無き後も国民は刻苦勉励して、苦難に負けず、腐る事無く日本を再び、世界に伍する国に再建してください、と、後半の部分で仰せになられています。

    帝は、或る意味死ぬ事も適わず生き恥を忍んでおられたのかもしれないと思うと、その大御心の有難さに胸を打たれます。 毒を呷った近衛文麿の卑怯さが際立ちますね、彼こそ絞首刑になるべきだった。共産主義者の一味だった尾崎もゾルゲも吊るされているのだから。

    日本は負けていないとは、事実の部分が多いでしょう、然し、その選択肢の先には、戦死者軍民併せて700~1000万人という恐るべき数字が現実のものになった可能性が高い、なんとなれば、標的は兵士ではなく、民間人で手段は原爆が未だ7発も残っていたからです。

    英国のキングジョージ5世は、留学してきた昭和帝に白人のモラルの低さを教えたのです。だから、日独伊三国同盟を結んだ松岡洋右を蛇蝎の如く嫌っておられたのです、内側から崩壊させるような真似を当の外務大臣がやったら、勝てませんわな。