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奉祝 紀元節
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戦後80年というのに、まだ「紀元節」は復活しませんね。まだまだ私ら日本国民、やらなあかんことはいっぱいあるで。アメリカ報道ではデタラメな産経は、「正論」に新保祐司さんが寄稿してはりました(紀元2700年をどう迎えるか)。
私は知りませんでしたが、2600年に記念に作られた歌が二つあるそうです。
■「紀元二千六百年」国民歌「紀元二千六百年」映像+歌詞付き / Kigen Nisen Roppyaku Nen
■「紀元二千六百年頌歌」紀元二千六百年頌歌 / Kigen Nisen Roppyaku Nen Shōka
下の「頌歌」は風巻景次郎作詞、信時潔作曲で、荘重な感じ、上は「軽薄なくらゐ明るい歌詞と曲」と桶谷秀昭氏が『昭和精神史』で書いてはるそうです。新保さんは、
紀元2700年を祝う心は、「軽薄な明るい」ものであってはならない。歴史の始原への回想は、「荘重」で「沈痛」なものでなければならないからである。この点に留意して、紀元2700年の記念行事の企画の準備に取りかかるべきである。この奉祝を立派に成し遂げるという国家の意志と国民の気概がどの程度かが、日本という国家の存続と国体の継承にとっての重要な試金石となるであろう。
と書いてはります。あと15年後、日本はどうなってることでしょうか。そんなことより今の今、石破は「80年談話」を出すんとちゃうか、などと言われていて、高橋洋一さんでさえ危惧してはりました(1209回 危険すぎる石破&岩屋のコンビ)。安倍さんがせっかく打ち消した「謝罪」を、また元に戻しそうでコワいですね。完全にサヨクのアホ石破です。
さてマスゴミはやっぱり、ネットでは大騒ぎの「USAID」にはさっぱり触れませんね。ま、いずれ自分らの名前も出るから、言えるわけがないか。あ、NHKはもう出ていますね。個人名が出て来たら面白いのに、とも思いますね。こんなんとか。
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正月番組ですね。アホですね、池上。こんなんがテレビに出てる限り、まだまだやなあ、と思てしまいます。それでも今は逆に「テレビは基本的にウソ」という認識が広がる方がいいのかも知れません。そして、「費府の飛行士」さんが次から次へと情報を投下してくれてはりますが、もう追いつけません(笑)。気になるのは、ファウチのことですね。
世界的な規模で行われたCOVID−19詐欺は人々をコントロールする目的で計画された:前ファイザー副社長(2022年6月18日)(彼はこのワクチン開発前に退社していた)「Global-Scale COVID-19 Fraud Is Designed to Control People: Former Pfizer VP」
マイケル・イードンさんですね。もう2年半前から言うてはることが、やっと公的に認められることになるんですね。日本のマスゴミ、どうするんでしょうか。命に関わる話ですからね。
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そして話は飛びまくりますが、今日のビックリはこれでした(石平の国政挑戦宣言)。宣言と言いながら、まだどこの政党から、とは言うてはりません。何でかな。帰化人として堂々と立候補します、と。門田隆将さんは好意的に引用リポストしてはりました。
「帰化人の参政権」みたいなところで、躊躇してる人が多いみたいです。私はややこしいことは言わんと、まともなことを言うて広めてる人なんやから、応援しましょう、と言いたいですが、ネットでの反応は、めっちゃ複雑です。
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コメント
7 (承前)コロナ初期の日本の超過死亡率(注)は低かったがワクチン接種が重なるにつれ右肩上がりになった(最終回)
Excess mortality: Deaths from all causes compared to average over previous years
https://ourworldindata.org/grapher/excess-mortality-p-scores-average-baseline?country=USA~JPN
(注):超過死亡率とはある一定期間の自然死を含め全ての死因による死者が期待値(想定値)よりどの程度多かったか(少なかったか)という率を示すデータです。仮に厳密な死因がわからない場合でも何らかの要因で死亡者の増減の推移が示され、ヒントを与えることになりますそのデータを4年以上の時系列がわかるグラフで表示したものを探しましたが、見つけられなかったので代わりに世界の各国の比較ができるOne World in Data のグラフを引用しました。但しよく読むと、このデータは2015〜19年に比べて2020〜24年の対応する期間の死亡数の増加率を採用しています(世界各国の比較をするのに各国の期待値データの信憑性が当てにならないからとしています)。
日本のように老齢人口割合が多く、その年齢層の死亡者数が年々増加している場合には数値が高くなります。例えば、コロナ初期の2020年の場合、日本の超過死亡数は主要国で唯一のマイナスでしたが、このグラフではほんの僅か増加しています。でも趨勢を読み取ることはできます。
アメリカでは2020年春に山が高くなり4月に45%となり夏場でも30%近くなっています。これはコロナでの死亡者が介護施設を中心に増加した(NYでは症状のある老人を治療せず施設に戻し、そこで感染が蔓延し次々に亡くなった)こともさることながら、緊急手術が必要な患者もPCR検査が陰性と確認されなければ病院側が受け付けなかったことで、検査の結果がわかる2〜4日後には死亡した患者が多かったことが大きいでしょう。その後2021年1月には52%と驚異的な増加となっています。この時期は1回目のワクチン接種が始まった頃でした。次のピークは2021年9月の46%です。この頃は特定の職種の人、政府職員たちにワクチンの強制が行われた時期と重なります。次のピークは2022年1月の45%。この頃はブースターショット(3回目の追加接種)が推進された頃と重なります。でも2回も3回も接種したのにコロナに感染する人、接種障害になる人が増加し、多くの人が何かおかしいと感じるようになり、追加接種には急ブレーキがかかりました。アメリカは現在では超過死亡はマイナスに転じています。
日本はコロナ初期のうちは超過死亡は殆ど気にするほどではありませんでした。増加し出したのは2021年4〜5月頃からです。この頃はせいぜい10%前後でしたが2022年8月と12月には30%近くにまで上昇しました。その後一旦は山が低くなりましたが2024年8月にはまたピークが訪れ27%に増加しました。日本の人口百人あたりの追加接種累計回数は世界最高の140回超、アメリカは40回です。
超過死亡の原因がワクチンだけということは断言できませんが重要な容疑者であることは間違い無いでしょう。しかも接種障害を負った人や死亡した人への救済措置が因果関係が云々という口実の元になかなか進んでいないのは情けないことです。
医療行為やワクチン接種の場合には、事前に患者に説明し納得した上で実施することが鉄則です。それがなされたのでしょうか? 政府はワクチン接種を盛んに奨励しましたがその安全性、効果、リスクを国民に説明したでしょうか?医者はどうだったでしょうか。それとも単に膨大なカネが目の前にぶら下げられたらそんなこと知ったこっちゃないと思っていたのでしょうか?
これからは社会全体として救済措置を考えるだけでなく、何の考えもなしにワクチン購入に膨大な税金を投じ、その安全性や効果も確認しなかった政府の責任、安全性と効果を開示しなかった製薬会社の責任が問われて然るべきでしょう。(終わり)
池上彰の頭の中を一度精神科の先生に調べてもらうべきです。そうでなければ、二度と人様の前に出してものを言わせてはいけません。
偽日本人の議員が大多数なんですから、石平さんの国政賛成です
紀元節や四大節が元の呼び名になった時、日本に戻れる
愛国行進曲の一つに
見よ東海の空あけて
旭日高く輝けば
天地の正気溌剌(はつらつ)と
希望は躍る大八洲(おおやしま)
てありますが、大八洲は日本の古称なんですね
2番に
八紘を宇(いえ)となし
てあります
この歌は母が好きなのか毎日歌うので覚えてしまったのですが、意味が分からなかったです
戦前の日本人の素晴らしさを四大節や軍歌などでわかります
ハナ ちゃん
石平氏、維新から出馬とか?
別サイトで、反対派多いです。やはり石平氏は帰化人であり、これを認めると他の帰化人候補者にも示しが付きません。
幾ら、石平氏の政策がよくてもね。
まして、維新など信用できません。万博後の中国カジノが加速しそうです。
じゅんさん
維新からなんですか?
それは絶対ダメですね
ソロさんの言われるように中国人の信用度を考えるとナシです
ハナちゃん
ですよね。良かったです。
250212―1 石平氏の国政チャレンジ、私も応援したいがシナに信が無い野は国です
今晩 は ソロです。
石平さんが国会議員に挑戦する事は、は日本も基は多民族国家ダッタのが、大きな戦争を2回もやって、是では大陸国家~何時か侵略をうけるとの危惧が広がって、多分天武帝の頃に日本と言う国家が計画されて、国の成り立ちや民族の起こりを確定するために古事記や日本書記が編纂され、その他にも国家としての基礎的なモノが決まっています。
でも、天武帝が実は日本国創立の嚆矢ではなく、やはり神武帝、崇神帝、応神帝、継体帝と天智帝と、連なってこその日本誕生がある訳です。 名前を挙げた帝の御代には大きな戦が有ったり政変で大和朝廷の存続が危機に瀕した節目だったのですが、都度、新たな民族が日本人に成って来たと言う隠れた歴史もありますね。
要は、日本人集団の基礎になったのは、血族では無く運命共同体的な仲間意識であったが、其れは固より海人族と言う集合自体の脅威は日本列島の大自然だった殻です、血族的にもそう遠いわけでも無い、皆氷期が終わって、海進現象が起こり佐賀井規模が大きくなって、北へと新天地を認めた結果であろうと思います。
処が災害の合間には、穏やかな気候の機関が次第に長くなるにつれて、漁獲量が増え、それに伴って、人工も増えたので、海人族同士の争いが目立つようになった然も、此処へ来て、大陸の戦国時代の影響が東シナ海沿岸全域の海人族のテリトリ-に影響する事件が発生した、半島の百済に因る長江避難民の新羅に与えたが慶州北道の避難地で鉄鉱山を開鑿した。
然も、新羅は鉄の精錬法も知っていたので粗鋼を算出した、当時の粗鋼大陸が戦乱状態にあったので、高値で売れるのは解っていたが、何せ逃亡sj者なので、シナに顔を出すとは憚られ、他ので、シナとと貿易をしていた日本の海人族と連絡を着けて、仲介貿易を行った、画、此れが百濟に筒抜けに成って、百済と新羅は犬猿の仲になった。
之は歴史には決して出て来ない話だが、春秋戦国時代と言う戦乱が千年も続いた大陸では、鉄不足で需要が逼迫していたかて粗鋼は近よりも価値が高かった、新羅はシナに追われる身なので直接公営¥期は出来ない、其処で、日本の海神族に依頼して、仲介貿易を行っていたが、鉄の公益理研の争いが百濟新羅カンデオっ子ルト、知れが海人族全体に波及した。
此れが倭国大乱が起こった主たる理由だった、其処で、大和朝廷は九州の太宰府に調停を移して、爾来500年間に亘って現地で指揮を執った、此れが欠史8代ですね。此の500年間に着いてのㇾk氏記録は全て消滅しているので端末的な史実から、蓋然性だけで論を建てているに過ぎないので、史実かどうかは此れからの話でしょう。
例えば、崇神帝の御代は、500年近い倭国大乱が鎮定されたBC96年頃、欠史8代が明けて大和に凱旋帰国して建てたのが崇神帝でしたが、九州の熊襲=肥曽(クマソ)が、未だ力を持って居て、抵抗を続けていた、然るに此の倭国大乱の覇者の大和朝廷が得た利益は莫大なモノであったから、戦乱は一的な終息に過ぎなかった。
クマソ勢の抵抗はその崇神帝から5代後の応神帝の御代迄続きます。勿論この間も歴代の帝は応神帝に至る迄九州と中国平定に注力されておられ、悲劇もありましたね、特に、崇神帝から3代後の仲哀帝は参観討伐に出て九州に到着した直後にクマソの流れ矢に当たって崩御された。
帝に同行していた神功皇后は身重で、后の父君の将軍、武内宿祢は、半島勢力「≒三韓」征伐を続行、留守居の重臣○○氏との戦略会議で、先ず半島を平定してからと言う話になり、海を渡って新羅主体の三韓軍を斬り従え帰国したが、この間に出産したが、此れが後の応神帝で、この後、40年もクマソ勢との長い戦いが続いた。
但し、仲哀帝は戸畑宇遠征前に、勝ち得た莫大な利益の使い道として、氷期明けで泥濘の海だった大阪平野を干拓して、大穀倉地帯にし、以て永続的な王朝の資産にしようと言う大事業に取り掛かっていた、此の事業に労働資源を出したのが、是亦、長江難民の呉で、当時は、吉備の国の豪族であったが、神武帝の農業指導で大国になったと言う恩が有った。
なので、他の豪族、例えば、播磨や丹波の有力豪族も人を出したが水田開鑿には一日の長がある吉備勢力が圧倒していたから、此れが500年後の壬申の乱の火種に成ったが、兎に角開墾事業は難関を究めたが指揮を執った応神帝から継承した仁徳帝以下歴代の皇帝が、労働者の生活を考えて、税を長期にわたって免除する措置を採るなど支援した。
この結果大阪平野は大水田地帯に生まれ変わり、大穀倉地帯が出源したので、この噂はシナにも届いて、強大になった大和朝廷を「倭の五王」と呼んで怖れたが、国内的にも、豪族連合に支えられた王朝だったのが真の実力を身に着けた。 其処で、住民は恩徳を賜った帝の墳墓を開墾事業の残土で創り上げた。此れで後世古墳時代と呼ばれる由縁ですね。
此処迄の日本史は、実は昔は確たる証拠があったのだが、5~6世紀に亘り、仏教と共に渡来して来たイ蘇我氏が聖徳太子と組んで権勢を揮い、仏教を普及させたが、日本の民俗信仰であった木尾新党を報じる物部氏と衝突して、太子・蘇我連合は物部氏をやっぶって、物部氏は地方に隠棲した。処が聖徳太子が夭折すると、蘇我氏の権勢が強まった。
其処で母君でまr天皇に即位した吉備勢力の○○天皇の皇子の中大兄皇子が、部下の中rと看の鎌足とはかって、大極殿で、帝の目の前で蘇我入鹿の首を刎ねた(乙巳の変)此れに驚いた父親の蘇我蝦夷が、自宅に帰って、日本の歴史書の全てを焼き尽くし、自身も自害して果てた事で、多くの証拠資料が全て亡くなった、野です。
日本は当時、未だ地方では、独自の言葉や文字を使っていたので、史書も彼らの文字で書かれていて、要は、日本は異文化人の民族の集合だったと言う事です。 然し、一民族国家dと言う認識が強く有るがそれは、交易相手の大陸王朝から、可也狙われている事が判っていたので、国内ヲ纏めなければ、日本も何れシナ王朝の支配下にされるのは判っていたからだ
だから、日本国内の戦争は、全国統一の意味合いが無ければ、支持されなかったし、外来人は昔から歓迎して来たが、日本侵略の意図が持つ者は、例えば周王朝の王族でも受け入れない、結局は豊後の国に国東半島に幽閉して王族を根絶やしにしている。斯うした両極端な面がある上に、強い海軍力を持っているので手出しが出来無かったのです。
なので、日本人と言うのは、血統だけ手繰って行けば、多くの異民族に辿り着くだろうが、国土を侵略者から遠ざけて、社会の安寧を保とうとするのは一致していた.なので、日本がシナ大陸を侵略しようとしていたと言うのは真っ赤な偽りで、其れに乗ったのは、こうした古代からの日本人の心情が理解出来なかった愚かな共産主義者です。
日本は決して侵略主義には染まらないのは、幾ら国の規模が大きくなっても、国政が民の為のモノで無ければ、国民は不幸に成るのは判り切っていた事だからです。だから、石平氏が国家議員を目指すのは大いに結構だが、日本人のそうした国家や社会に対する理想像は建国以来変わって居無い事を胸に刻んでほしい、と願うのみです。