

最近は『週刊文春』も完全に「マスゴミ」の側に移っているので、ほとんど読むこともないのですが、今日(8/3)の産経「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」を読んでビックリ、すぐにコンビニに走って入手して来ました。これです。
参政党に関しては『文春』の「神谷ファミリー企業の資金源は『在日は死ね』ヘイト経営者だった!」は言い過ぎ、かつ取材不足。
フジ住宅の今井光郎会長は筋の通った、立派な創業経営者だ。

「『在日は死ね』ヘイト経営者だった!」は私がこれまでに何度も書いてきた「フジ住宅裁判」での「あいつら」のウソ八百そのもので、もはや名誉棄損ものですね。こんなことやから、オールドメディア、レガシーメディア呼ばわりされるんや。
とはいえ花田さんはよくわかってはって、「言い過ぎ、かつ取材不足。」の二言ですね。フジ住宅の今井会長(当時社長)は、社員のためにいつも、役に立つ情報が満載の資料(や本)を、全社員に無償で配布していたところ、その中にたまたま「差別的文言」があって、それに「心が傷ついた」と言うて、在日のパート女性社員に「言いがかり」裁判を起こされたわけですね(2015年8月)。
その「文言」の一つが「在日は死ね」で、それはページ数にしたら何万ページにも上る、会社の配布資料の中の、たった一行、しかも資料として上げた動画資料の「コメント欄」に、どこの誰が書いたかもわからん「コメント」の中にあったものです。
ようこんなもん探して来たな、と言うほどの執念深さです。あ、拙ブログの「カテゴリー」で「フジ住宅」を検索して貰えたら、これまでの記事が全部出て来ます(笑)。この「言いがかり」裁判で、フジ住宅はとんでもない損害、風評被害を蒙ったわけです。つい最近まで、その社員さんは在籍してはったそうです。よう我慢してはったな、と私は思いますね。
さて文春の記事に戻ると、この記事は「参政党サゲ」特集の一環なのですが、むしろ同じ週の『週刊プレイボーイ』の方が参政党問題を「正面からきちんと取り上げている」と花田さんは書いてはります。とは言え読んでみたら、コロナに対するマスク、ワクチン対応に関しては、あるいは米大統領選挙の不正に関しては「陰謀論」という前提で書いてるところが、トホホ、なオチなんですけどね(笑)。ま、花田さんの限界やと思います。
まあこんな中途半端なマスゴミの片隅の、今やアタマが固まってしもてる老人しか読んでへん新聞・雑誌なんかより、3日前のこのYouTube動画(【総理の座にしがみ付くワケ】石破茂、裏切りの人生を徹底解説!(京都大学/文芸批評家:浜崎洋介))が見事で、大いに膝を打ちました。藤井聡チャンネル『表現者クライテリオン』ですね。京大でずっと土木工学をやってた藤井先生が今、文系的なメディアをやってはるって、面白いですね。

名前を言いたくもない「あいつ」のことを、文芸批評家の浜崎洋介さんが見事に分析してくれてはります。あいつの「言うことがコロコロ変わる」、「言うこととやってることが全く違う」というのは、この半年、私ら日本国民がもう、イヤというほど知り尽くしてしまいましたね。普通ならとうに表舞台から消えてるはずなんですけどね。
衆目の面前で、「こいつ、アホやで」と指さして言うのは、大阪弁では究極の罵倒ですが、それでも足らんくらいにやっぱりあいつはアホなんですが、浜崎さんは、これこそが戦後80年の、私ら日本人の姿やと反省せなあかん、と後半で言うてはりました。
あいつのこれまでの言動、発言、著作の文章を子細に検討した結果、あいつには何の一貫性もない、あるとしたら一貫性がないという一貫性、とか。笑えますね。まあ私も何度も言うてますが、アホをアホと指さして笑うてても、虚しいだけですね。
少し話を戻して、「言うこととやってることが全く違う」というのはまさに、憲法9条そのものやんか、というわけです。戦争を放棄すると言い、陸海空軍を持たないと言い、交戦権を認めないと言うてるけど、世界では有数の戦力と評価されている自衛隊を持ってるやんか。「警察予備隊」から数えたらもう75年間、「言うこととやってることが違うやん」というわけです。
あるいはサヨクが、何とかの一つ覚えで「非核三原則」を持ち出しますが、そんなもん、横須賀に核搭載の原潜がしょっちゅう寄港してることなんか、公然の秘密ですね。「一応、○○ということにしておこう」ということが今の日本では、あまりにも普通になってしもたわけですね。
せやからこそ、「このワクチンはコロナには効くことにしておこう」、「マスクは効果があることにしておこう」、「日本の財政は借金まみれで危機的なんやということにしておこう」と言われても日本国民は、何の疑問も持たずに従って来たわけですね。
私ら日本人は、言うてることとやってることがおかしいと、それについて真剣に考えて悩んで、何とか言行一致させようと、何かの実績を残したことが、実は戦後一度もあらへんかったわけですね。これがまさしく今の日本人そのもの、というわけです。そうです、日本人は、言うこととやることが違うんです。あっかーーーん!!ですね。そろそろ、そういうことを恥じましょう。
そしてそれに気づかせてくれたのが、実は参政党なんとちゃうか、と言うことやと思います。「異文化共生」「男女平等」「国の借金」「働きすぎ改革」、言葉だけは正しそうな話はいっぱいありますが、今やそれでは国が亡びるところまで来てるんや、という感覚に気付かせてくれた、ということでしょう。
たまたま行きがかり上、上で花田さんが少し評価してた『週刊プレイボーイ』の記事から引用してあげましょう(笑)。ライターは「宮原ジェフリーいちろう」さん。知らんけど。めっちゃ焦ってはるみたいです。
今回の参院選、芝公園での最終演説後、話を聞いた18歳と19歳の男性ふたり組は、ショート動画で流れてきた神谷氏の演説に心が震えたと語った。彼らが深く共感したのは、「男が男らしく、女が女らしくする、ということの何がいけないんだ」という言葉だった。

ということやそうです。そして最後に書いてはります。
差別的な思想が根底にあると批判され続けた「日本人ファースト」という理念へのバッシングが今後もやむことはないだろう。
こうした状況で、参政党がさらなる支持を拡大できるのか、それとも空中分解してしまうのか、有権者それぞれの立場から注視が必要だ。

あはは、バッシングしてるのは、あんたらだけやで。むしろ今はもう、「差別とちゃうでー、区別やでー」と、割と平気で言い返せる雰囲気になって来てるように思います。
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コメント
おばちゃんへ:おっしゃる通りだと思います。老生が長年日本の友人知人に発信してきたことを再掲させて下さい。
かつて仕事で付き合った世界の各地の人々や、アメリカに来ている色々な地域出身の人との個人的な体験からしても、先進国では中々お目にかかれない特質をたくさん日本人は備えていると感じました。
これまでは、その特質を多くの国が利用し(悪用し?)日本人の洗脳ないし工作をしてきたのではないか、この特質故に未だに占領軍によるWGIP ( War Guilt InformationProgram)から中々抜け出せない人が多いのではないか、又、日本の近隣諸国やマスコミによる工作に影響を受けて自分で考えようとしない人が多いのではないか、と私は考えるようになりました。
これらの特質は人間としては世にもまれな美徳とも言えるかもしれないものの、悪意を持った人々からの工作に対抗しにくいという意味では弱点とも言え、彼らはそこを実に巧みについてきました。
いくつか具体例を挙げてみましょう。
◆素直、信じやすい:疑い深くない、成り済ましに気づかない。(特に、学歴が光っている、職業が教授、弁護士、裁判官、官僚、医師、宗教関係者、政治家、評論家等は最適。テレビや新聞への露出があれば更に信用させやすい。)
まさか相手が嘘をついている、ID を偽っているとは思わない。
◆正直:嘘を言わない。間違ったと思えば謝る。逆に、謝らせてしまえば永遠にあなたが悪いと言い続けられる。
◆差別しようと思わない:それ故、実際に差別かどうかに関わらず、“差別だ”と言いたてれば日本人の言動を封殺できる。
◆親切:困った人には対価なしに重要な情報、場合によっては秘密を教えてあげる。
◆寛容、謝られたらすぐに許す:工作がバレた場合でも謝るか改心した振りをすれば、本音で舌を出していても許される。それ以上追求されにくい。
◆勉強熱心、好奇心旺盛:そんな古い考えにこだわっては駄目ですよ、これからは新しい価値観に切り替えないといけない、といわれれば簡単に乗りやすい。日本の伝統や制度を壊す時に便利。
◆争いを好まない:平和、戦争反対、9条等を唱えれば、簡単に現状の危機から目をそらさせることができる。争いを避けるためには日本人が我慢すべきだと思わせるように仕向ける。強面で臨めば日本が引っ込む。
◆個人個人はともかく、団結すると強くなる:常に分断させるよう工作する。
◆反省する:反省しろ、反省が足りないと言い続ければ日本人を黙らせることができる。
◆他人や他の国からの評価を気にする:アジアから評判が悪い、世界で孤立、と言い続ければ自信をなくさせ自分たちが悪いと勘違いさせることができる。
◆我慢強い:日本は悪い国だ、侵略者だ、加害者と被害者の関係は1000年続くと世界中に言いふらしても反撃されずに嘘を広めようとする行為が容易。
◆従順:権威付けをすれば比較的簡単に従わせることができる。国連は便利。
しかし、日本人には更なる特質があります。それは、いざとなった時の力であり、覚悟を決めた時の力です。
日本人は我慢強いが、相手のやりようが度を過ぎると我慢しない。現実に目覚めたら単なるお人好しではない。自分自身はともかく、家族や子孫、次世代以降に害が及びそうになると反撃する。未来の世代への責任は果たす。
個々人では弱いかもしれないが力を合わせる時はとてつもなく強くなる。経済的利害を超えて一致団結する、カネは関係ないとはっきり言える、卑怯な振る舞いを簡単に許すことはない、ということに彼ら(工作員だけでなく、在日勢力、工作された日本人、感化された日本人)は気がついていないのでしょう。或は知っているが故にそういう事態にならないよう必死なのかもしれません。
マスコミから流される情報を鵜呑みにせず(間違い探しのつもりで臨めば、主観の刷り込み、巧妙なラベル貼りや印象操作、言葉や論理の巧みなすり替えが頻繁に行われていることが分かるでしょう)、情報を自分から採りにいって咀嚼した上で自分の頭で考える人が多くなれば、覚醒は急速に進むのではないかと思います。
今回は10年近くFBIから、メディアから、政治家から、世間から言われなき非難と迫害、本人だけでなく家族まで命の脅迫を受けてきた彼の人生観の一部が垣間見えるインタビューです。次回以降にも出てきますがそのハシリを感じて下さい。
フリン将軍への攻撃がロシア疑惑を反映している/如何にして彼らは私をターゲットにしたのか(その6)
(承前)
4 中国の台頭と超限戦(その2)
私は著書の中で信仰について多くのことを述べている。私は現在はアメリカが歴史の中で経験しなければならない試練の時だと信じている。我々を試練の場に置き、我々がそれを克服する場を神が命じたのではないかと思っている。ドナルド・トランプもその一人だ。
(ヤン):ロシア疑惑については多くの人の著作がありますが中でもリー・スミスは興味深いことを書いています。その中で彼はトランプ大統領はロシアとウクライナの和平もやろうとしていることは実はキッシンジャーがやってきたことを元に戻そうとしているがそれを困難にしているのがプーチンだと述べています。フリン将軍はロシアの援護者だという人もあります。あなたのコメントをお聞かせ下さい。
(将軍):私は反ユダヤ主義者だ、シオニスト寄りだ、イスラエル寄りだ、人種差別者だとか様々に言われてきた。人にそのようなラベル張りをするのは政府の権力の武器化の一つとして使われる方法の一つだ。そして彼らは武器化してアメリカの人々を攻撃する。彼らの考えに沿わない、気に食わない人々をそのようにラベル貼りして攻撃する。暗殺は作り話だったというのもトランプ攻撃の一つだ。彼らは同様にして私を攻撃してきた。私は軍隊の中級士官としてソ連崩壊後の90年代にはロシアと協働してウクライナへの空挺部隊の作戦も行ってきた。彼らがいうペレストロイカがありソ連崩壊直後はアメリカとロシアは協働していた時期があった。軍隊の上官からもそのような命令が出されていた。陸軍時代にはロシアの将校が我が隊に編入されていたこともあった。1993〜94年にはアメリカ軍の幹部学校でにもロシアの将校が学んでいた。ソ連崩壊後はもうロシアは敵ではなく、我が陣営と協働できるように彼らを取り込むことが軍隊同士で志向されていたことだ。なぜロシアを敵とする必要があるのだ?
国家安全保障の専門家として、元国家安全保障担当大統領補佐官として私がやろうとしてきたことは敵を作り出すことではなく友好国を増やすことだ。ところがこの国にいる左翼の連中は緊張関係を作り出し、敵を作ろうと躍起になってきた。常時緊張関係が存在し、分断ができることを彼らはやってきた。彼らは国を分断しアメリカの中で新しい政府の仕組みを作ろうとしているのだが一般の人にはとても信じ難い話だろう。しかし我々が気づいて立ち上がらなければ我が国が自由で幸福追求のできる国では無くなってしまう。
残念なことに政府が進めてきた組織主義、権力の武器化は州や地方公共団体レベルにまで浸透している。今こそアメリカの人々が立ち上がる時だと思う。何故ならWHにドナルド・トランプというクレージーな人間が戻ってきたからだ。彼は欠点のある人物ではあるが、彼はアメリカの歴史的な人物だ。彼は敢えて自分より遥かに大きなものに対して戦いを挑んできた。彼の振る舞いや特色、性格について好きに言えば良い。
彼はあまりの困難さから逃げようと思えば容易に逃げ出せた状況から逃げずに意図的に困難な決断を続けて戦い続けてきた。彼が戦うとなり、地獄の門が開けられたかのように汚物が彼に襲いかかった。
私はこういうふうに理解するようになった。彼らは私自身に対し、私の生活、私の家族に対し矛や命の脅迫によりさまざまな攻撃を仕掛けてきたが、そんなことは大したことではないと。私には信仰心があったからだ。それを彼らは奪い取ることはできないと。そのように自分が育ったことに神に感謝した。私の妻もそのように育てられたことにも神に感謝した。我々は自分がどういう人間かをわかっているからだ。アメリカの人々が自分は何者か自覚し、人生における自分の役割は何か理解する人が増えるにつれ、草の根レベルであれ地元のコミュニティであれ教会であれ何か権限の伴う役職であれ、我々全てが我が国の中で一市民として奉仕する責任があると理解することになるだろう。
それが今行動を起こす呼びかけがなされたのだと思う。(続く)