

私はここではほとんど、韓国のことについては書きません。もともと大嫌いやということもありますが(笑)、そもそもあの国のことについて、真面目に議論することの方がアホらしいからです。前大統領、名前忘れたわ、何となくこれまでより良さげ、と思われてたけど結局、いきなり「戒厳令」に失敗して失脚しましたね。アホですよ。根回しぐらいしとけよ、ですが、それさえもアホらしいて、何も言いません。
とは言え、一応隣の国なので産経は記者を置いていますね。今日(8/8)の黒田勝弘・ソウル駐在客員論説委員のコラム「緯度経度」です(韓国メディアが「台湾に学ぼう」と発信 日本統治の「禍」「悪」に焦点当てる教育に警鐘)。黒田さんは韓国簿もペラペラで、しかも韓国のことが好きな人です。もちろん産経なので保守系ではあるのですが、ちゃんと取材する記でもありますね(当たり前か笑)。
先日、韓国の新聞に台湾からの韓国人記者の記事が出ていた。韓国のメディアで台湾に支局を置いているところはほとんどないので珍しい。しかもその記事は「台湾の実用的歴史観を見ろ」と題し、日本統治時代に関する台湾の歴史観を紹介しながら韓国を自己批判していた。これも珍しい。
いや、韓国とは真逆に日本統治時代を高く評価している台湾に「学ぼう」などという記事は韓国では初めてではないか。韓国としては今年は日本支配から解放80年、それに日韓国交正常化から60年。この報道は画期的である。

なるほどー。韓国通の黒田さんから見ても「画期的」なんやそうです。黒田さん自身がこの「台湾博物館」を、以前に見に行ったとか。
筆者(黒田)も先年、台湾博物館を訪れた際、台湾の発展に貢献した偉人として児玉源太郎総督や後藤新平民政長官の銅像まで展示されているのに驚いたことがある。韓国で日本統治時代の朝鮮総督というと、今でもドラマや映画で抗日テロや暗殺の対象として極悪人イメージで描かれるのが一般的だからだ。
私としては「ほら、せやから台湾はええけど韓国はアホなんや」と言いたいところですが、どうもこの記者(朝鮮日報、リュ・ジェミン台北特派員)は、アタマは良さそうやと思いました。そして黒田さんはエールを送ってはります。
今回の記者派遣はまだ支局開設など常駐ではないようだが健闘を期待したい。
まあ私はこの記者が、何らかの意図を持ってるのかどうか、本社からの指令を受けているのか、とかはどうでもええんです。それよりも、このネット時代、ウソはすぐバレる時代になってることを、もしこの記者が感じているとすれば、それはそれで新しい風になるんやないか、と思ったのです。
そしたらたまたまですが、上の黒田さんの記事が8面で、対向の9面に清湖口敏さんのコラム「言葉のひと解き」にも興味深い記事がありました(戦後80年、日本人も「日本は悪者」の洗脳から覚醒してはどうか)。
第二次大戦の終結によってドイツ国民はヒトラーからの洗脳を解くことができたが、顧みてわが日本国民はどうかといえば、戦後に日本を統治した連合国軍総司令部(GHQ)による洗脳からいまだに脱し切れていないのが実情だ。広島、長崎の原爆忌に続いて終戦の日を迎えるこの時期になるといつも、左翼系の評論家やマスコミを中心に日本国民の間から「日本はなぜバカな戦争に踏み切ったのか」「侵略戦争を仕掛けた日本こそが悪い」などと批判や反省の声が聞こえてくる。先の大戦は日本の侵略主義が引き起こしたものであり、贖罪すべきは日本であるとの東京裁判史観を日本人は、どうして払拭することができないのか。
まあこれは、拙ブログの読者さんならとうにご存じの話ではありますが、マスゴミはほとんどがサヨクですからね。
当初は仕方がなかったとしても、1952年4月のサンフランシスコ講和条約の発効で日本に対する占領が終わり、日本の主権が回復されてからも、朝日など一部の新聞は今日まで日本を悪者として反日の旗を振り続けている。連合国軍最高司令官として東京裁判を主導したマッカーサー元帥も、日本を戦争に駆り立てたのは安全保障上の必要からだったと証言し、事実上、日本の「侵略戦争」説を否定し「自衛戦争」説を認めたのではなかったか。

もう、何百回言うてもまだ足らんな。わたしはここでもまた参政党に期待しています。だって、神谷宗幣さんは演説でもちゃんと「大東亜戦争」と言うてはりますからね。名前という「形」は大事なんです。ついでに書いときますと、私は「終戦記念日」の名前は別にええと思いますが、これを9月2日の降伏文書調印の日に変えることには反対です。
あのね、8月15日は、天皇陛下が「終戦の詔勅」を全国民に対して「玉音放送」された日なんですよ。何か文句あります?動かせるわけがないやんか。

さていきなり話は今に戻って、「総裁選の前倒し」は決まったようです。石破はまだ辞めへん、と。どうも9月の臨時国会は石破のまま開かれるようだ、と。もう何も予測がつかへんと、三橋貴明さんが言うてはりました(【速報】両院議員総会終了!総裁選前倒しに向け申し送りへ。今後の流れを解説します)。

一度、落ちるところまで落ちんとあかんのかも知れません。踏みとどまってほしいけど。
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コメント
東京裁判における「事後法」問題とマッカーサー証言の関係、そしてその中で「自衛戦争」論がどう扱われたかを、流れに沿って整理します。
1. 事後法問題と「平和に対する罪」
■ 背景
* 東京裁判の最大の論点は A級罪=「平和に対する罪」(侵略戦争の計画・開始・遂行)でした。
* ところが、この罪は当時の国際法において明確な刑事罰規定が存在しないため、弁護側は一貫して「事後法」にあたると主張しました。
* 根拠として挙げられたのは nullum crimen sine lege(法なくして犯罪なし)という刑法の原則です。
■ 検察側の反論
* 1928年のパリ不戦条約で戦争放棄は宣言されていた
* 戦争が国際的に違法とされた以上、それを行った国家指導者は刑事責任を負うべき
* 侵略戦争はすでに国際慣習法で禁止されていた
→ ただし、パリ不戦条約には刑罰規定も個人責任の明文化もなく、法律論としては脆弱でした。
2. 裁判での「自衛戦争」論
■ 弁護側の主張
* 日本は経済封鎖(ABCD包囲網)、資源供給遮断、満州権益への圧迫など国家存立を脅かす圧力を受けていた
* ハル・ノートによる要求(満州からの全面撤退など)は、事実上の最後通牒だった
* この状況下での武力行使は自衛戦争であり、「侵略」ではない
■ 裁判所の判断
* 自衛の成立には「急迫不正の侵害」が必要であり、日本の開戦は事前に計画され、拡張的意図を伴っていた
* よって、真珠湾攻撃も南方作戦も「侵略戦争」の一部と認定
つまり、経済的圧迫=自衛戦争の正当化理由という論理は退けられました。
3. マッカーサー証言との関係
■ 証言の内容
1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会でマッカーサーはこう証言しました。
> 「日本が戦争に突入した目的は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことであった」
> “Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.”
さらに、日本は石油・ゴムなどの資源をほぼ輸入に依存しており、封鎖されれば国家存続が危うく、数百万人の失業者が発生する可能性があったと述べました。
■ 裁判とのズレ
* この証言は、東京裁判の侵略認定と論理的に食い違う部分があります。
* 裁判は経済封鎖を自衛の根拠として認めなかったのに対し、マッカーサーは安全保障上の必要性を事実として肯定。
* ただしマッカーサーは、この証言で「侵略戦争」認定を直接否定したわけではなく、法的評価ではなく戦争動機の分析として語った可能性が高い。
4. 評価と解釈
* 保守系の歴史観では、この証言を「東京裁判の侵略戦争説を事実上否定し、自衛戦争説を支持した」証拠とみなす傾向があります。
* 国際法学の立場では、マッカーサーの証言は経済的・戦略的要因の説明に過ぎず、国際法上の違法性判断(侵略か自衛か)とは別問題と解釈。
* つまり、事後法の問題はそのまま残りつつ、戦争動機と法的評価が分離された状態になった、というのが実態です。
5. まとめ
* 東京裁判では、経済封鎖や資源確保を理由とする武力行使は自衛と認められなかった。
* マッカーサー証言は、この弁護側論点を事実としてある程度肯定しており、裁判論理と齟齬。
* ただし、証言は「動機の理解」であって「法的無罪の宣言」ではないため、裁判の法的評価を覆す効力は持たない。