天皇の男系男子孫の足利義満、源頼朝、平将門でさえ天皇にはなられへんかった。それが伝統の力。

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 私が「覚醒」し始めたころ、この倉山さんと、上念司さんの対談本なんかをけっこう読みました。もうずっと前から、財務省や日銀のことをずっと批判してはりましたね。また、選挙では自民党の応援演説をしてはったこともありました。今はだいぶ熱は冷めてはるようですね。

 ただこの倉山さん、最近はちょっと変です。雑誌『SAPIO』で、次の首相は山本太郎がいい、なんて書いてはりました。うーん、何かあったんかな、、、。 とは言え、最近出たこの本『天皇がいるから日本は一番幸せな国なのです』(宝島社)は、タイトルに惹かれて読んでみました。

 倉山さんはめっちゃ該博ですね。そして専門は憲政史なので、憲法の話にはめっちゃ詳しいです。私は講演会を聴いたこともありますが、やや甲高い声でテンポもよく、話し方も上手でした。この本も憲法を中心に話が回って行きますが、他のところでも言うてはりましたが、実は上皇陛下のご譲位は、憲法に規定のないことやったんですね。

 あはは、天皇が憲法違反をした?という話です。そもそも「譲位」を想定してへんかったわけですね。せやから日本の法匪たちは大慌てしたわけです。天皇は自分の意志を持ったらあかんのや、「内閣の助言と承認」によってしか動いたらあかん、つまりは国民のロボットになっとけ、というわけですね。こういう不敬なことを平気で考えられるようになったのが、戦後東大法学部のトップになった宮澤俊儀ですね。

 この宮澤俊儀さん、アタマは悪うないから実は戦前と戦後では憲法がガラリと変わってしもたことを説明しきれずに、これは革命が起こったとにしといたらええねんという、実にええ加減な「八月革命説」を唱え、「主権」は天皇から国民に移ったんや、と説明しようとしたわけです。

 「主権」を説明し始めるとまた、それだけで本が書けるぐらいの話みたいですが、つまりは戦後の天皇は、国民の言うとおりにせえ、と言いたいだけの話ですね。実に下品で不敬千万です。二千数百年の歴史と伝統を知っていれば、そんなええ加減なことは言われへんのですが、そこら辺が理屈だけでモノを考えようとする法匪たちの、底の浅さ、限界、なわけですね。

 話は飛びますが、最近日本各地で縄文時代の遺跡発掘が進むにつれて、沖縄を含めた日本列島の縄文時代は、もはや文明と言える高度な社会が築かれていたことが、どんどん明らかになってきているようです。私は、縄文人は、「書かれたもの」に対する信認がめっちゃ低かったんとちゃうか、と思います。

 高度な文明社会を持ちながら、大陸から文字が伝わるまでは文字がなかった、と。それでもいわゆる「大和言葉」は決して無くならへんかったどころか、今の私たちも使い続けてるわけですね。たぶん、縄文人にとっては、生身の人間が話す言葉の重みというものが、今と比べてものごっつい大きかったんとちゃうか、と思います。せやからこそ、『古事記』は、口承で伝えられてきたわけですね。

 話は飛びまくってますが(笑)、つまりは、文字で書かれた「憲法」は、もともと縄文人、日本人にとっては、別にいらんもんやったんとちゃうか、と言いたかったんです。憲法に書かれてようがなかろうが、たとえば天皇が、この先もう天皇という大切なお役目を務めることが難しいと考えたら、皇太子に皇位を譲る、と考えるのはごく当たり前のことやんか、と。

 でも上皇陛下は突然勝手にやめはったわけではありませんね。再三再四、宮内庁にはお話しされていたようですし。お役人ではどうしようもなかった、ということでしょう。情けない人たちやな。せめて宮内庁を宮内省に格上げして、人事異動でしょっちゅう変わるような「お役人」ではない、生涯尽くす覚悟のあるような人に、ちゃんと地位と名誉を与えてやってもらうのがええんとちゃいますか?

 また本に戻りますが(笑)倉山さんは、先例を重んじるということがいかに大切かを説いてはります。「新儀は不吉」とも言うそうです。永年引き継がれた伝統の儀式ややり方は、変えたらあかん、ということですね。これは先日「二千年以上続いて来たことをやめるんかどうか、だけの話や。怪しげな女性、女系天皇の話。」で触れた、谷田川惣さんも書いてはりましたね。

 倉山さんも、今回、秋篠宮殿下が「皇太子」でなく「皇嗣」とされたことや、新天皇のご即位前に元号を発表したことなどを「新儀」として批判してはります。今の私らが、昔の日本人よりアタマがええと考えるのは大きな間違いなんですね。

 皇位継承は皇族に限るというのも大事な話で、せやからこそ今、旧宮家の男子に皇族に戻ってもらう、つまりは大きな意味で旧宮家の復活が喫緊の課題、というわけですね。もしこの原則が無ければ、たとえば近衛文麿、西園寺公望、足利義満、源頼朝、平将門といった、天皇の男系男子孫だって天皇になれたことになる、ということやそうです。

 二千年にわたって引き継がれてきた伝統は、細かいところもおろそかにしたらあかん、ということですね。最後に、倉山さんが「はじめに」で書いてはることを引用しておきます。

 比叡山には「不滅の法灯」があり、最澄が最初に灯してからその火は千三百年間、たとえ戦乱に遭っても、分灯していた火を持ってきて灯し続け、これまで一度も消えたことがないんやそうです。毎朝油を差す、これがめんどくさいから電球に変えよう、と言う人がもし出て来て、それでもええ、となったらそうなるだけの話や、と。

 せやけどこの法灯の価値は、世界一の権力なり武力をもってしても、決してつくることはでけへん、ということですね。あ、同じことを、上で触れた谷田川惣さんも書いてはりました。長い時間を経たものにはそれだけで価値がある、と。 長く続く伝統をいっぱい持ってる私ら日本人は、幸せですね。

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ナニワの激オコおばちゃん

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