聖徳太子の頃からとうに日本人は、今で言う民主主義を実践してた。天皇の役割も変わってへん。


 昔、高校の時の歴史の先生が「人間が手で作るもの」は、時代が古いほどよう出来てる、と言うてはりました。時代が下るほど、手作りのものはレベルが低くなって来てるんや、ということですね。何かわかるような気がしますね。

 岡本太郎が、縄文土器と出会ってとんでもない衝撃を受けた話は有名ですね。「縄文時代」のことをもっともっと知りたいと思います。読みたい本は山のようにあり、知りたいことは次から次と出て来ます。最近は本もあるけど、動画がけっこう手っ取り早く、理解を深めることができたりしますね。

 英国の歴史家、トインビーは、日本を独立した一文明圏としてとらえてた話も有名ですね。日本を貶めたいだけの、戦後のアホな三流歴史家と、それに従うサヨク教育者は決して認めようとはしませんが。縄文遺跡は沖縄から北海道まで、ざくざく出て来てるんですね。

 そしてよく言われるのが、殺し合いをした形跡がほとんどない、人を殺す武器らしきものが出て来ない、ということですね。さらに最近知った話ですが、何と、どう見ても産まれながらの、今でいう「障害者」が、それなりに成長してから亡くなったと推定される骨も出て来てる、と。

 私ら日本人の祖先である縄文人は、優しかったんやなあ、と嬉しい気持ちになりますね。たぶんそれは、「食うに困らへん」かったからなんやろうな、と思いますね。海の幸、山の幸、川の幸、豊かな四季の恵みに囲まれていたから、殺し合いなんかする必要がなかったんや、と。

 あと、私の学生時代には、縄文時代は狩猟採集生活をしてたのが、弥生時代になって大陸、半島から米作、農耕技術が渡って来たんやと習いましたが、それは違うようですね。縄文時代には既に農耕があったことが実証されてるそうです。

 食うに困らへんから、当時の人は時間を見つけては、楽しみながら色んなものを作る中で、縄文土器はどんどん芸術性を高めていったんやということなんでしょうね。精神的には現代の私ら日本人より、よっぽど豊かで幸せな毎日やんか。

 せやからこそ、日本人には「和」を尊ぶ心がDNAとして残ってるんや、と思いました。今年は「聖徳太子1400年御遠忌」、実は先日、大阪市立美術館へ行って「千四百年御聖忌記念特別展 聖徳太子 日出づる処の天子」を観てきました。

 そして聖徳太子と言えば「十七条憲法」、その第一条は「和を以て貴しとなす」、あまりにも有名ですが、ちょっと誤解したらあきませんよ、という話がありました。人気ブログ「ねずさんのひとりごと」で有名な小名木善行さんのYouTube動画「むすび大学チャンネル」の、昨日(10/27)「教科書に載ってない十七条憲法の嘘」の配信です。

 25分ほどの話なので、ぜひ聞いてみてください。小名木さんの話の面白いのは、きちんと原典を示して、文章の中の漢字の成り立ちから説明してくれはることですね。第一条の「和を以て貴しとなす」の後には実は、意見が違うことがあっても、身分の上下に関係なくみんなでしっかり議論しなさい、と書いてある、と。つまり議論をする時には「和」が大事、ということをまず、言うてるんやそうです。

 言いたいことがあっても「和」が大事やから、我慢して黙って従え、などと解釈するのは全く逆の話なんや、ということです。むしろ「和」は、議論する時の心構えを言うてる、という話でした。せやからこそ、第三条の「詔承必謹」、「詔(みことのり)を承(う)けては必ず謹め」が生きて来るんや、ということなんやそうです。

 これを戦後のアホ左翼学者は、天皇絶対主義、みたいに言うけれど、違うんや。みんなでとことん話し合って決めたことが、天皇の「詔(みことのり)」になって出されるわけですね。みんなで話し合って決めたことは、後になってグダグダ言うな、という話です。

 私らの世代は、日本は戦後、アメリカから民主主義を教えて貰うた、みたいに教育されてますが、全然違いましたね。聖徳太子の頃から既に日本人は、今で言う民主主義をちゃんと理解して実践してたんやで、という話やんか。国会でできた法律は今も、天皇の御名御璽をもって発布されるんや。今も昔も、何も変わらへん!

 日本人、もっとしっかりせなあかん!昔の人から笑われるやんか。ちゃんと正しい歴史を学んで、日本人としての誇りを取り戻したいもんです。

【文中リンク先URL】
https://www.youtube.com/watch?v=jSdWHsX34aU


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ナニワの激オコおばちゃん

コメント

  1. あのなのな より:

    ほんとに無口なの。{いわせんな}

     ねずさんブログは毎日、食い入るように読んでいました。

        これほんとですよ。

     お菓子、昔、しかし、

     とんでもないポオテンシャルで、昨今大学教授になられたようで、

     それはおめでたい事なのですが、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

     ねず印の芋虫、そのご利益までは言い出されぬように、オン願い、、奉り。

     竜頭蛇尾どころじゃない、中身ない。詐欺まがい。
     。。。適当に消してください。ねずさん、まだしばらくとまれなそう。

     ストーリーテラーとしては、超、超、、なんといおう、
     ねずさんから日本史を学ぼう。

     いうことわけわからん、
     それでいいのだ。

     あのね、ブルボンさんちは、ぜーんぶ南北戦争に入れ込んだわけでは
     ないと思うの。マリー王妃が畑作ってたのはほんとなんだろうけど。

     ねず先生、ご自愛ください、振り返りつつ、これけっこう大事ですよ。

     ね、吹き閉じよ、まぁ、お好きに。

    • 波那 より:

      あのなのなさんの、その軽妙にポイントをずらして行かれる文章が楽しくて好きです。いつも笑わせてもらっています。

  2. あのなのな より:

     南北戦争じゃなく、あめりか独立戦争ですね。

     バスティーユ襲撃には、あらたに供給というより、

     アジテート、安上がり。              

  3. あのねのね より:

    いつも勉強させてもらってます。ありがとうございます!
    別姓で得するやつらが誰かということをよく考えないとだめですね。
    別姓なんて中韓の歴史やないですか。
    日本にそんなものは要りません。
    別姓にしたいやつらは中韓に住んだらええんです。

  4. 波那 より:

    蔡忠浩
    @bonobos_sai
    柳さんと同じくおれも参政権がないので一度も投票した 経験がない。
    日本国籍ではないが永住権を持った市民はたくさんい て、みんな三大義務だって果たしてる。
    政治経済の重要な決定の場に参加もできず、 具体的な意 思表明の行動の機会も与えられない、 悔しさとやるせな さで唇噛み締めながら見守ってる。
    午前1:03-2021年10月27日 Twitter for iPhone

    この人達の日本の選挙権を寄越せの欲しがり様は異常です。当然、この人達にも日本に住む他の外国人と同じように自国の参政権が、韓国の参政権が与えられています。

    覚えていますね。民主党政権時代にイ・ミョンバクが日本はもう乗っ取った宣言をしたことを。メディアには多くの在日韓国人が巣食っていてイ・ミョンバクはその事を知ってたから言ったのです。永住権(権利ではない)永住許可は、終戦後のGHQの帰国事業が朝鮮戦争勃発で中断され、その後休戦になった後、李承晩が戦争中に逃げ出して日本に入り込んだのは共産主義者、共産主義者は引き取らないと拒絶して、吉田茂首相のGHQへの一人残らず半島へ帰すと言う嘆願は道半ばで閉ざされてしまいました。特別永住許可(特永)は不法滞在者のままにはしておけなかったからの難民への措置で、帰国するまでの在住許可でしかありません。

    この人達は一体何を思い上がっているのでしょうか。韓国に住む日本人が韓国の参政権を欲しがっていますか?欲しがっても韓国政府が与える筈がないでしょう。

    外国人参政権に党として反対しているのは自民党のみです。公明党も賛成しているのですから。

    小選挙区は各地の自民党候補者
    比例は自民党

    日本を守る為に。日本は反日してる外国人の国ではない、日本は私達日本人の国。

  5. ななし より:

    そこはしっかり検証しないと・・・

    「以下は、Youtubuにアップされている動画にあるテキストです。
    このことは日本人全員が過去の事実として知っておくべきことです。
    みなさんの手による拡散を希望します。」
    ttps://nezu3344.com/blog-entry-748.html

    (記事の写真は・・・)
    ttps://twitter.com/yukin_done/status/1283244773130657793

  6. 岡本英樹 より:

    いつもありがとう、激おこおばちゃん。
    その皇統の危機について先日青山さんが「悠仁殿下の天皇辞退」の可能性のお話をして居ました。ほんと今回のKK問題はそこに目的を定めた皇室廃止論者の策略だったのですね。だったではなくこれからも続く戦いの火ぶたが切られたのですね。皇統を守ろうとする我々は更に勉強し世論に訴えて行かなければ成らないのですね。

  7. 今日からパ翼 より:

    ねずさんは、むかし「ねずきち」と自称されていました
    「ねずさん」と自称し始めた時に腐った と思います
    かれの情報源はすべて二次、三次資料で、自分で取材したり、原点に当たったものではない
    伝聞ばかりです
    しかも史料批判の姿勢は皆無です
    そのことをブログで批判したことがありますが 削除・ブロックでした

  8. ナポレオン・ソロ¥ より:

    ソロです。
    >>古事記と日本書紀は失われた古代史の復興の産物
    私も、ねずさんの説に共感している一人です。

    私は鹿児島の指宿の出ですが、大連からの引揚者の母親一家の住居があった橋牟礼は、大正期に、土砂崩れで剥き出しになった地層から、縄文様式と弥生様式の、様式は異なるが、極めて隣接した年代の地層から出て、始めて2つの文化が融合していて異民族では無かった事が京大の調査・研究によって、確認された処です。

    聖徳太子は574~622年に存在されていた方で、日本最初の女帝の推古帝の摂政役として、岳父の蘇我馬子と並んで執政されていた方と認識していますが、太子と言う称号は皇太子と言う意味では無く後世の尊称であるとの説が有力ですね。

    処が、皇極帝の645年に、中大兄皇子と中臣鎌足が起こした政変、乙巳の変で息子入鹿を殺された蘇我稲目が自宅に帰って放火して自害、日本の古代からの文書を大量に保管していた書庫も類焼し、失なわれました。

    その古代史を暗記している女性「=₌稗田阿礼」がいる事を知った和気清麻呂を中心にした、古代史復興・編纂の40年に亘る試みの結果が、古事記であり、後続の資料で輔弼したのが日本書紀なのです。

    交易の民、海人族「=東夷族」の古代日本の文化圏は、北はオホーツク海、西は沿海州を始めとするシナの東岸全域、南はフィリピンやマレー半島迄と、東は太平洋なので、南米迄言った可能性がありますが、無事に帰って来た人はジョン万次郎だけです。

    然し、その範囲は広大だった事が少しずつ遺跡の発掘で確かめられています。だから、日本列島も多民族混淆の場で有ったと考えるのが 妥当なのです。

    古代の日本史は各民族が持っていた50種類以上の文字で書かれていたと思われ、もし残っているなら、世界がひっくり返る可能性があります。勿論、何に書いていたかも含めてですがww 多分、竹簡と呼ばれる長江文明の遺物と同じものでしょう。

  9. ナポレオン・ソロ より:

    ソロです。 訂正です。
    古事記編纂は、和気清麿ではなく、太安万侶(おおのやすまろ)の間違いです、すいません。