サンリオもポリコレに負けたんか。何が弱者や、ホンマに大事な人権がわかってへん堕落した左翼。


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 私は日頃、共産党や立憲民主党に対して「アホや、アホや」とクサしていますが、まあそれは事実やとしても(笑)、説得力はありませんよね。反省します。同じく私はいつもアホやと思てる「ポリコレ」についても今日(2/6)の産経新聞に、めっちゃ説得力のある記事が出ていました(マイメロが差別?堕落した左翼のポリコレ)。評論家、小浜逸郎(こはま・いつお)さんですね。

 サンリオがテレビアニメ「おねがいマイメロディ」シリーズに登場する毒舌キャラクター「ママ」の「名言」を使ったグッズの発売中止を発表した。商品に印刷された「女の敵は、いつだって女なのよ」といった表現がジェンダーバイアス(性的偏見)を助長するという、ツイッター上などの批判を受けてのこととされている。

 ネットで少し騒ぎになっていましたね。Ⓒマーク付きの画像も出ていたのでコピペさして貰います。

 いやあ、この名言集、どれもこれも秀逸やんか。こういう知的な営みを否定するポリコレ、サヨクはホンマにアホですね。あ、また言うてしもた。ちゃんと小浜さんの記事を読みましょう。花王がかつて「#Be WHITE」プロジェクトを休止したことにも触れて、

 「女の敵は女」「Be WHITE(白くなれ)」といった表現が差別を助長するかは議論が分かれるところだが、いずれにしても、批判や不買運動で傷つくことを恐れた企業のこうした動きは功利的な動機に基づくもので、差別問題の解決によい意味で貢献するとは思えない。このたびのサンリオの場合も、せっかく議論が深化するきっかけを作ったのに、それを封鎖してしまっては、「ポリティカル・コレクトネス」の言い分を一方的に通す結果にしかならない。

 そりゃあ企業側にしたら、袋叩きにされたらコワいですからね。小浜さんはこの「ポリコレ」ブームの社会心理的な背景として、二つのキーポイントを指摘してはります。一つは意識の「個人化」です。高度経済成長からバブル経済の過程で、

人々は家族や地域、さまざまな団体に頼らなくても個人で豊かに暮らせるようになった結果、個人としてどう生きたいかという意識を肥大化させる一方、他人との連帯意識を衰弱させていった

というわけです。豊かになって、「個人、個人、個人」となってしもた、と。そしてポリコレブームの社会心理的な背景のもう一つのキーポイントは、「左翼の堕落」やと言い切ってはります。もともと左翼にはちゃんとした意義があったのに、それを忘れてるんとちゃうか?という話です。その意義とは、

一つは、反権力の姿勢を貫くこと、もう一つは、国民の人権を守ること。

 たしかに「反権力」と「人権」、いかにも左翼、その通りですね。そして小浜さんは後者の「人権」について、左翼はホンマに大事な事は何もしてへん、と言うてはります。

 最大野党は政府与党の消費増税に徹底抗戦することもなければ、国民貧困化の原因である緊縮財政(政府はこれを「財政健全化」と呼ぶ)という急所を突くこともしなかった。左翼は本来、国民を貧困化に追い込んだという事態が何よりも人権侵害に当たると訴えるべきなのに、その自覚と認識が欠落していたのである。代わりに、人権問題として彼らの頭に浮かぶのは人々のアイデンティティー問題、例えば女性、LGBT、障害者、アイヌ、在日などの人々の問題を訴えることであった。個人化した時代、左翼は社会的連帯ではなく、個別のアイデンティティーを問う問題で存在感を示そうとしている。これがポリコレブームの真相なのである。

 国民の貧困化という大問題が目の前にあるのに、それには何も言わず、上で例示されている人たちをあらかじめ「弱者」としてカテゴリーで括り、そこに運動の照準を定めてしまうことで、他の政治課題を見えなくさせている、というわけです。

 個人化した人々はそれぞれに孤立化を深め、社会集団としての名を与えられることもなく、各自のつらさを生きている。じつは多数を占める彼らこそが、「弱者」の名にふさわしい。彼らはグローバリズムの犠牲者なのに、彼らを視野に収めず、特定の人々だけを「弱者」としてノミネートする。これは左翼リベラルの堕落であり、退廃である。この堕落と退廃を助長し、真の弱者の存在を忘れさせているものこそ、ポリコレブームなのである。

 さすが小浜さん、迫力がありますね。「ポリコレ棒」という語もネットでは頻出していて、感覚的にはようわかりますね。あいつら、叩きまくるんですわ。それを「左翼リベラルの堕落と退廃」と言うてくれはってスッキリ、ですね(笑)。

 要は、ちゃんと考えてへんのですよ、あいつらは。運動するのに楽なこと、目に見えてわかりやすそうなことばっかりやってるから、おかしなことになってるんやと思いました。日本ではポリコレは流行らんやろう、とタカをくくっていましたが、サンリオもビビッてしもてる現在、なかなかアタマが痛いですね。

 負けたらあかん、その都度、声を上げて「左翼の堕落と退廃」を糾弾して行きましょう。

【文中リンク先URL】
https://www.sankei.com/article/20220204-TD4DGWFFUJK2PO3LTHBYSNMFIA/?993323


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コメント

  1. 名無し より:

    そのうち、「男」「女」・「男性」「女性」と云う呼称も差別を助長と言う事でブ-ブ-の時代、到来も近し!

  2. ちょび より:

    こんばんは。
    いつも楽しく読ませていただいています。

    意識の個人化、私は25年くらい前、バブルが崩壊したあたりからだと感じてました。中東の人質の人だったり、就職氷河期の人達を助けないために個人のせいにしたあたりからかなと。その結果、個人で生き抜くためには個人を蹴落とすしか無くなったというか。
    誰かを攻撃して優位に立ったと思わないと不安な世界になったのかなと思いました。

  3. mibu より:

    革命の発信地は常にアメリカ。
    「天は人の上に人を作らず」
    「板垣死すとも自由は死せず」
    この辺も革命を扇動する言葉です。

    アメリカの支配下に入らなければ日本は西洋を消化できたと思います。
    常にプレッシャーを掛け、日本を戦争へ導いたのが英米。
    維新の心は忘れられ性善説で英米を見るようになってしまった。

    プラザ合意から米国による再占領は始まっている。
    フェイクニュースに従わなければヒエラルキーを登ることはできない。
    世界中で起きています。

  4. 八百万の神の自由 より:

     産経でも、積極財政派識者を載せるようになったのは良い傾向ですね(小浜さんの趣旨には賛同)!

     ただ、左翼の定義を「反権力の姿勢、国民の人権を守る」とするのは平成経済の過ちを助長するのでは?!と危惧します。
     少なくとも日本経済に於ける保守と左翼の定義を「小さな政府」vs「大きな政府(弱者救済)」とする平成理論は違和感を覚えます。

     日本の経済感覚は、「三方良し、民の竈(カマド)、経世済民(世を経[治]めて民を済[救]う)」という言葉も有るとおり、どちらかと言えば、大きな政府です。
     というか、日本の保守の美徳は、「融通無碍、変幻自在、ベストバランス」に在ると思うのですが?!

     左右に関係無く、今、日本が採るべく道は、
    財政破綻妄想を破棄し、経済安保と民の竈の視点を持ち、需要供給バランスを最重要視する経済運営、
    即ち、平成から今日迄続く需要(所得)不足型デフレと、コロナ禍困窮の今は、 政府による大規模、長期、計画的な財政出動や減税が必要ですね!

     また、今日記事と無関係ですが、
    積極財政派(三橋、藤井氏等)の主張を、「大局(安全保障)を視てない」的に言う人がいますが、
    未だに、平成経済(財政破綻論~緊縮財政)が及ぼした国力衰退という“経済安保”衰退を軽んじた発言が、保守?を語る者から出る事は残念です。
     [三橋氏等は、こう言う人達の為に(陰謀論と受け取られぬよう)拘って理論的に説明してるんですがね]

  5. だれだ より:

    紳士的対応はすばらしい限りです。

    ですが、やつは症状が安定してるときは、まともなんですが、

    ?申し上げた通りです。

    あちこちの言論空間でワンシューにして、すでに
    いわば前科が積み重なっているのではありませんか。
    「お大事に」という、、や さ しい 言葉は出ません。
    誰でもわかる三橋さんご指摘のとおり。
    みぐるしい。 なさけない。
    本人きずかないの ?だろうか。
    だから 「青空の下で読むナイチェ」をいだいてどうぞというのですよ。

    こちら的には特に憂さもはれませぬ。