和歌山の漁港で、岸田首相の選挙演説の直前に爆発物が投げ込まれた、と。とりあえず無事でよかったです。せやけどとんでもない話ですね。ネットではまた、安倍さん暗殺の時にサヨクの連中が山上容疑者をさんざん持ち上げたからや、みたいな話が出まくっています。その通りですね。
ホンマにサヨクは度し難いですね。少し前ですが、4/12の産経新聞大阪版の夕刊に、岩田温さんのコラム「岩田温の温々熱々」が掲載されていました。タイトルは「大江健三郎」。今年の3月に満88歳でお亡くなりになりました。川端康成に次いで日本人で二人目のノーベル文学賞を受賞。そして3人目か、と言われてるのが村上春樹さんやそうです。
まあノーベル賞自体が実はパヨパヨやし、平和賞なんかは完全に政治的なもんやと言えますね。岩田さんのコラムのサブタイトルは「奇妙な戦後民主主義と論理なき自衛隊全廃論」。岩田さんは朝日新聞も、批判するためにいつも、しっかり読み込んではりますね。そしてこの大江健三郎に対しても、そのようです。
私ら日本国民はそろそろ、「戦後民主主義」は欺瞞やったんやと気い付かなあきませんね。確かに私は学校で、日本には民主主義が無かったけれど、戦争に負けてアメリカが来てくれたお陰で、男女平等の民主主義を教えて貰うたんや、みたいなことを堂々と教えて来られましたからね。そんなんウソやった、と。
話それるわ。岩田さんに戻ります。貼り付けた記事はたぶん何とか読めるとは思いますが、大江健三郎がワシントンで「自衛隊全廃」を叫んでいたことを取り上げて、こう書いてはります。
1995(平成7)年のことだ。古くは学生作家としてデビューした当時にも次のように語っている。
「ぼくは防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の一つの弱み、一つの恥辱だと思っている。そして、ぼくは、防衛大学の志願者がすっかりなくなる方向へ働きかけたいと考えている」(毎日新聞昭和33年6月25日夕刊への寄稿)
今日日耳にしなくなった自衛隊全廃論であり、防衛大学校の学生に対するヘイトスピーチだ。
あはは、昭和33年に「ヘイトスピーチ」の語はなかったとは思いますが、その通りやな(笑)。そして岩田さんは、そうは言うても大江健三郎は奇妙や、と書いてはります。もう一つ紹介してくれてはるのが、大江の作品の中で、その作中人物に語らせている話です。
自衛隊を「税金泥棒」と呼ぶ17歳の左翼の少年に対して、少年の姉が問うている、と。<『セブンティーン』、『政治少年死す』(「文学界」昭和36年1・2月号に発表)>
「自衛隊がなぜ税金泥棒? もし自衛隊がなくて、アメリカの軍隊も日本に駐留していなかったら、日本の安全はどうなると思う? それに自衛隊につとめている農村の二、三男は、自衛隊がなかったら、どこで働けるの?」
左翼少年は姉の問いに答えられない。答えに窮した少年は姉を殴打する。論理がないからだ。
ひえーー。大江くん、実はわかってたんとちゃうか、と思いますね。そして岩田さんは書いてはります。
大江は自衛隊全廃論を主張していた。だが、その文学の中で、主人公の姉に自衛隊の必要な理屈を説かせている。私が「戦後民主主義」なるものに懐疑的なのはこの奇妙さにある。
まあそれが「文学」なんや、とも言えるんかも知れん、というわけですね。知らんけど。とは言え、大江さんは文学の中に留まってはいませんでしたからね。政治的な発言もいっぱいしてはった、と。私ら一般人にはようわからん人ですね。
そしたらたまたまですが、今日(4/15)の産経の「話の肖像画」で、今月の登場者の千玄室さんが、戦後間もない昭和26年に渡米して、アメリカ人に茶道を教えた話が書かれていました(「和敬清寂」を紹介したい 占領下の渡米)。
渡米のきっかけは、友人から、米軍の第六軍司令官ダイク代将が講演で茶道の話に触れて「千利休の『和敬清寂(わけいせいじゃく)』こそ、日本流の民主主義ではないか」と語ったという話を聞いてぶったまげたことやった、と。ちなみに
《「和敬清寂」とは、千利休が茶道の精神を表すとした言葉。主人と客とが心なごやかに互いを敬い、茶室や茶道具などは清らかで質素を心がけることをいう》
米軍人から、まさか「和敬清寂」を聞くなんて、というわけですね。そして千玄室さんは話してはります。
私は感激してダイク代将に手紙を書きました。日本は戦後、急速にアメリカから民主主義を学ぼうとしましたが、もともと日本には茶道という民主主義があったのです。例えば、戦国時代でも武士は茶室に入るとき腰の刀を外しました。茶室では武士も商人もなく、皆平等なのです。私はどうにかしてアメリカに行き、あちらの人たちにお茶を紹介できないかと考えたのでした。
アメリカ行きの話はこの後に続くようですが、つまりは千玄室さんは、茶道さえも日本では民主主義なんやと、戦後間もない頃に、既に考えてはったわけですね。ひえーー。さすが、何百年も日本の伝統を受け継いで来た人は違いますね。
ちなみに千玄室さんは大江くんの一回り(12年)上、現在99歳、いわゆる「特攻隊の生き残り」ですね。戦前教育を受けた人と、戦後教育どっぷりの人の違い、でしょうか。いやいや、比べるのも失礼な話やな。私ら日本人が奪われてしもたもんは、まだまだいっぱいありますね。
そもそも日本人は縄文の昔から、奴隷はおらへんかったし、男女平等やったし、民主主義やったんや、と最近は思てます。どんどん意識を変えて行きましょう。
【文中リンク先URL】
https://www.sankei.com/article/20230415-RYF6PTPXZBNZXFVDCIABB5VVZA/
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コメント
村上春樹もそうだけど大江も韓国大好きで日本は韓国に謝り続けろと言ってたんでしょう?何を謝るのかしら。台湾と朝鮮は日清戦争で勝った日本に支那から割譲された国で、台湾は確かに翌年から統治を始めましたが、朝鮮は支那から独立させて保護国にしただけでしたね。なので朝鮮は自分らで「大韓帝国」などと名乗っていたではないですか。李氏朝鮮時代の膨大な借金で首が回らず貧乏から抜け出せず併合を願い出て来たのは朝鮮なのに何で日本が侵略した事になってるの!!
ノーベル財団の図書館の日本のコーナーで一番多い蔵書は三島由紀夫の本だと何かで読みました。ノーベル賞は故人には受賞させないらしいですね。大江が自衛隊について、そんな事言ってたのは知りませんでしたが三島は自衛隊を国軍にさせようと決起した人でした。三島と比べると双璧と言うには余りにショボ過ぎますね。大江の本ってノーベル賞受賞した後にも、そんなに売れなかったらしいです。三島の本は数年前ですが近年、絶版本の復刻版まで読み、三島には心酔しましたけど、友人に勧められ読み始めた大江の本は挫折して読まずに終わったので大江の文学の価値を知らないままです。
パール博士の「誤まられた歴史は書きかえられねばならない。」と言う言葉を思い出し探して来ました。歴史とは戦争の勝者によって書かれ、それを利用する者(大江みたいなパヨパヨ)によって後の世に伝えられ事実とされてしまう物である事を改めて思いました。
子孫のため、歴史を明確に正せ
1952年11月6日、博士は広島高裁における歓迎レセプションに臨まれて、「子孫のため歴史を明確にせよ」と次のように述べられた。
「1950年のイギリスの国際情報調査局の発表によると、『東京裁判の判決は結論だけで理由も証拠もない』と書いてある。ニュルンベルクにおいては、裁判が終わって三か月目に裁判の全貌を明らかにし、判決理由とその内容を発表した。しかるに東京裁判は、判決が終わって4年になるのにその発表がない。他の判事は全部有罪と判定し、わたくし一人が無罪と判定した。わたくしはその無罪の理由と証拠を微細に説明した。しかるに他の判事らは、有罪の理由も証拠も何ら明確にしていない。おそらく明確にできないのではないか。だから東京裁判の判決の全貌はいまだに発表されていない。これでは感情によって裁いたといわれても何ら抗弁できまい。」
このように述べた後、博士はいちだんと語気を強めて、
「要するに彼等(欧米)は、日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって自らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の過去18年間のすべてを罪悪であると烙印し罪の意識を日本人の心に植えつけることが目的であったに違いがない。東京裁判の全貌が明らかにされぬ以上、後世の史家はいずれが真なりや迷うであろう。歴史を明確にする時が来た。そのためには東京裁判の全貌が明らかにされなくてはならぬ。・・・これが諸君の子孫に負うところの義務である。
わたしは1928年から45年までの18年間(東京裁判の審議期間)の歴史を2年8カ月かかって調べた。各方面の貴重な資料を集めて研究した。この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。それをわたくしは判決文の中に綴った。このわたくしの歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。しかるに日本の多くの知識人は、ほとんどそれを読んでいない。そして自分らの子弟に『日本は国際犯罪を犯したのだ』『日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ』と教えている。満州事変から大東亜戦争勃発にいたる事実の歴史を、どうかわたくしの判決文を通して充分研究していただきたい。日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って卑屈・頽廃に流されてゆくのを、わたくしは見過ごして平然たるわけにはゆかない。彼らの戦時宣伝の偽瞞を払拭せよ。誤まられた歴史は書きかえられねばならない。」
おばちゃん様
おばちゃん様のこのお話とは関連はありませんが、ふと思い出しました。
茶道に関して「伊勢白山道」の「日本が何とかなる理由3」に皇室との関係が書いてあります。茶道は奥が深いなあ~。
聖徳太子の「十七条の憲法」を読むと、実に民主主義の骨格を指摘しています。この憲法の精神は鎌倉時代の御成敗式目にも江戸時代の武家諸法度にも、そして明治の五箇条の御誓文や教育勅語にも受け継がれています。
農民や漁民の歌も収録された歌集が編まれ、女性の手による世界最古の小説が書かれ、尼将軍が活躍し、権力者を「わずかの小島のぬし」と喝破する思想家や、美意識のもとに万民を平等に扱う茶聖が現れ、世界一の識字率と庶民文化を誇る大都会が出現したのも、日本には確かに民主主義が不文律として存在してきた証だと思います。
学校教科書では日本の歴史を権力関係でしか描きませんが、そうした皮相的な戦後教育から脱却しないといけません。