


天皇陛下は先日のオランダ行幸の直前の記者会見で、皇室典範改正に関する国会での議論については「国民の皆さんの理解が得られるものとなることを望んでおります」とお答えになりました。これは至極まっとうな話で、何の違和感もないのですが、アホ左翼はこれを、自分らに都合のええように勝手に解釈していますね。
「ほら、ホンマは愛子さまを天皇にしたいのに」とかの類です。あるいは、「全会一致でないとダメ」みたいな極論ですね。そして今利用されているのが「静謐(せいひつ)な環境」の語ですね。そもそも共産党は昔から「天皇制廃止」が目標ですし、立憲民主党は天皇が嫌い、と平気でいう奴らの集まりですからね。
そんな奴らが、あの手この手で「静謐な環境」をわざと乱して、駆け引きに使おうとしてるわけですね。それは何と、実は維新もそうですね。あ、藤田くんはええこと言うてますが、党としてはややこしいですね。
そしたら何と、自民党の中にもこの混乱に乗じて高市さんを困らせようとしてる奴がおることがわかりました。立憲の蓮舫のXポストです。昨日私が引用した、高市さんの訪印直前の記者会見の動画を引用ポストして、
衆参両院で野党から正副議長に国会正常化を求める要望が出され、特に参議院では予算委員会と党首討論の開催が強く求められ、参議院自民党幹部もその必要性を口にしています。
と書いてます。このことを今日(7/3)須田慎一郎さんが批判してはりました(【自維連立に異変】野党の審議拒否による国会空転をめぐって自民幹部が暗躍、自民と維新の関係性に亀裂が!?高市総理の判断は?)。「参議院自民党幹部」って、実は蓮舫をこっそり後ろから応援してるらしいです。こういう奴らが高市さんの足を引っ張ろうとしていますね。

そして、維新が何とか高市さんと上手くやろうとしてるのに、その「覚書」案がどういうわけかリーク、漏らされている、とか。敢えて実名はここでは言いませんが、と。たぶん、石井準一のことでしょう。先日の小渕優子といい、高市さんの足を引っ張る奴らは除名でええと思いますけどね。
これやから「政局」は嫌いなんやというても、これも戦いですね。負けるわけには行きません。とにかく皇室典範改正だけは、絶対にやり遂げなあかん、という雰囲気のようです。そこに付け込んでの色んな動き、ということですね。
今日(7/3)の産経の正論は小堀桂一郎さんでした(皇位の男系継承は「国民の総意」)。小堀さんはいつも格調高いですね。あの「悪夢の民主党政権時代」に野田佳彦が「女性宮家」を仕込んだ悪巧みを回顧してはりました。そして
元来皇室典範改正の究極の目標は皇位継承の制度上の安定を確保する事にあり、その目標から見れば、野田氏の執念の残滓(ざんし)の如(ごと)き第1案は審議不要である。国民は例へば黒田清子夫人や池田厚子夫人がさきの神宮式年遷宮の一連の行事の中で、皇族の肩書無しで、実に御立派に祭祀(さいし)に関はる役目を務められた事をよく知つてゐる。
あはは、「第1案は審議不要」。その通りですね。そして「国民の総意」について、誤解したらあかん、と書いてはります。日本国憲法第一条にある「国民の総意」だけではあかん、と。
此処で思ひ起すべきは昭和23年刊行の和辻哲郎著『國民(こくみん)統合の象徴』なる論策の中での著者にとつて相当の苦心の所産であつたと思はれる「国民の総意」の定義である。和辻は此の書で、我が国の歴史に於(お)ける神武天皇の肇国(ちょうこく)、それによる日本国家の成立といふ動かし難い事実があり、爾来(じらい)この国は二千年に亙つて男系継承といふ不動の原理に立つ皇統を守つて来た、これを国民の総意の最高の表明と見做(みな)す、と立論した。

つまり、「男系継承」こそが国民の総意、というわけですね。いやまさに二千年、日本国民はこれでやって来たわけですからね。他に何があるんや?と言う話ですね。そしてさらに、この「国民の総意」こそが、天皇陛下が仰せになった「国民の皆さんの理解が得られる」ことそのもの、というわけですね。
まあ日本と日本人が大嫌いなあいつらには、一生わからんことやと思いますね(笑)。ホンマにそんな奴らはどんどん無視して行きたいもんですね。何で理解するつもりのない奴らに気を遣って、いらん「改正」をせなあかんのや?という話です。まあ今回は難しそうですが。日本人、早う気付け!と何度でも言い続けましょう。
そして高市さん、インド帰りでお疲れさま。何と党内からも足を引っ張られて大変ですね。しっかりと「国民の総意」に答えてくださいね、と言うておきましょう。今のこのグチャグチャは逆に、ガツンと正論をカマさんことには、いつまでたってもズルズルと引きずられるだけのようにも思います。中途半端やと結局、みんな離れて行ってしまうで、と。

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コメント
レベルの低い国会議員の多い事!
これで年間4000万円の給料を貰ってる、給料泥棒!!
勉強もしないでアッチフラリこっちフラリ、自分の考えも無く優位な方へ動く野郎共。
まぁ中韓人だろうけど、仕方がないって言えないよ。
何とかしなきゃ日本は潰れてしまうよ、それが狙いだろうけど。
有耶無耶な発言では奴らには届かないから、ハッキリと言うべき。
必要ない国会議員は除名しろ!
舐めて掛かってるからこういう事になる。
昨日改めて感じて驚いたのは、中人は子供の時から嘘は平気なんだ、と言う事。
こんな子達が大きくなったら日本は一体どうなる?
溜息ばかり。
まるっきり思想の違う人達に配慮するから、舐められる。
少数野党に気を遣いすぎ・・意味不明!
260704-1 神武東征とは云うが、中身は新技術の伝承行脚だから征伐では無い蝦夷は・
お早う御座います ソロです。
日本の歴史上で異民族を如何にして平定したかと言う点について、私はその象徴的な実例として神武東征を上げましたが、中身は征伐が目的ではなく、飢饉を避ける為に農業の新技術の伝承行脚なのです。 基本農民の長江民族には、行脚を通じて歓待されたが、非農民の蝦夷族には、槍成らぬ矢以て迎えられた。
なので、紀伊半島を半周して反対側の伊勢に上がり、体勢を立て直して此処を起点に蝦夷族を攻め立てたら、油断していた蝦夷族ではあったったが新たに中国勢力が責めて来たので堪らず、敗走した。大将の長脛彦が兄の少彦と落ち合ったのが、今の会津(アイズ)だから故事来歴が蝦夷の里と雖も地名に残っているのです。
こうした例が実は他にも沢山あるのでは無いかと、歴史好きの私は目を皿の様にして、探しましていますが見つかりません。詰まり、日本は単一民族で、唯一の統治者である大和朝廷を神の子孫として扇祭り仰ぎ祀り、ひれ伏す単一民族であると云う一種のプロパガンダを定着させた。
然し実は、日本は漂着民の海人族を中心に、氷河期の大陸から渡って来た狩猟採集民、それに、日本海を交易の場としていた今の沿海州に棲むツング-ス系のハンカ湖畔の住民が10世紀の長白山の大噴火で逃げて来た東北や北陸に棲みつきましたが、元から住んでいる蝦夷族と言う原住民がいました。
是らの他にも、先ず九州は古くから漂着民や交易の多様な海人族の往来、或いは難破漂着民は、近世に至る迄多かった様で、トルコの船が沖で難破し、日本の海の民に助けられて爾来ずっと交流が有る処もありますね。 他にも記録には残っていないが黒潮が運んだ様々な種類の海人族が日本に来ていますね。なので融資以前にもこうした現象g¥は有ったと思います。
例えば、7万年続いたピュルム氷河期の間、現在の大陸棚や島嶼部が全て陸地で山地でもあったから、東シナ海は弥永続く半島に囲まれた大きな内海を形成していましたから、人々は、波の穏やかな内海で漁労・海産を生業にしていましたが、漁網等の漁具が発展していなかった為に、養える人口は少数でしたね。
然し、あちこちから海流に乗ってやって来る人種だけは、増えて行きました。それらの中には、本渡迄辿り着いたものも多かったの異です。之が、玄日本人ですが、最近の研究では、山口県豊浦郡の4万2⃣千円前の地層から、なんと、土器が発見されています。 この辺りは、海人族でも最古にして最大の勢力を誇った豊の一族の拠点で、此の海人族が、豊前(ブゼン)、豊後(ブンゴ)の後の国名の元になった物です。
彼らの勢力は九州の南端の阿多迄、轟いており、上加也不葺合命(ウガヤフキアエズのミコトが、息子3人をして、施設団 として、遠く難波津迄、文化施設団として、送り込んだ、之が神武統制ですね。
すると、色んな処で暮らして来た人が、自分達には無い要素の道具だとか、食べ物だとかを教えてくれるので、自分達も独自の道具や、その道具の作り方を伝えて、共に、助かると云う現象が起こったので、人事交流が盛んになりましたが、交流が盛んになると、悪い事を考える者もいますから、それが元で大喧嘩になった事例も少なく無い様です。
亦、半島状の土地は、昔から地政学で、背後のタウ陸で負けた連中が、逃げてきて、その武力で、武器を持たない農民を支配して、国にするが、亦新手のはざんっ勢力がやって来て、奪い合いを始めるといった土地がラなので、争いが絶え無い処で、国も一国ではおさまりがつyかない場合が多い。
言われてみれば、成る程で、朝鮮半島だけで無く、バルカン半島、イベリア半島、イタリア半島、スカンジナビア半島、ヨーロッパ自体が半島と呼ばれていますからね。 此の中世的な常識は、アメリカや日本には当て嵌らない場合が多そうですね。
然し、日本は単民族国家では無い事は十二分に分かって居るのに、何故、単民族国家だと言い張ったのでしょうか? 思うに其は、紀元前5~6世紀頃、主に九州地方には、種類の違う海人族がt溶岩の熱も冷めた陸地で農業を再開し始めていた海人族がが中部~北部九州に帰って来たが、彼らは、今から7千年前の九州下半分を溶岩で覆い尽くした海底火山の終局的大爆発で、住めなくなった故地を捨てて、朝鮮半島の南海岸の島嶼部に逃避していたのです。。
約千年後に帰って来たのですが、彼らを歴史ではクマソと呼びますが、クマは肥と書き、ソは曽デス、両方とも、元海外からの移住してきた海人族です。 このクマソ勢力が、帰還してから、力を着けて歌がその理由は、シナの戦国時代を利用して、貿易で、金儲けしていたし、朝鮮半島でも、力をふるっていた。
然し、朝鮮半島の主権者は、大和朝廷だったので、クマソ勢には不満が募り始めていた。 この不満は、紀元前5世紀半ば~紀元前96年頃迄続く「輪k辱大乱」のもとになったものだし、。之が収まったかに見えた後にも、半島の三国が、防衛機の利権wp仲介者の日本が独占している事が不満だと、叛旗を翻したので、時の仲哀帝が、大和から遥々九州迄、妊娠中の夫人を伴い征した矢先に、クマソ軍が放った矢に当たって落命したが、此の軍には夫人の父親である将軍が同行していたので、直ぐに軍を立て直し、半島には夫人と将軍がクマソ軍には、大和朝廷の重臣である久米氏が仲哀帝が矢玉に当たって落命した事を伏せたのは勿論である。。
この間に渡海した夫人指揮する軍勢は、半島の三韓連合軍の中心的な存在の新羅を叩いて降伏させ、無事帰討したが、夫人が出産すると云うおまけ付きだった。これらの話は、「参観征伐」の書に明らかですが、この後、生まれた赤ん坊が「応仁帝」となり、40年後に、大和へ凱旋帰国するのですが、此処にも、皇統一統。への疑問が付されています。
この他にも、皇統連続への疑問点は幾つか有りますが、陛下がお望みになられたのは、飽く迄も「国民が納得する事」であります。 詰まり、先人達の確認の努力を尊重すれば、「現在の天皇陛下の血筋が万世一系である」と国民が認めるなら、其れで良いと言う事である。