首里城は再建してほしいけど「中国」冊封を意味する三跪九叩はやめて沖縄神社を戻さなあかん。

 首里城が突然焼け落ちてしもて、一週間経ちました。えらいショックですね。建物自体はずっと復元工事が行われていて、今年の1月に完了したところやったとか。何かむなしくなりますね。そしたら、私が入れて貰うてるメーリングリストのメンバーでもある惠隆之介さんが、この件について投稿してはって、公開可、ということやったんで、コピペさしてもらいます。

【以下惠隆之介さんの記事コピペ】 本日10月31日未明、沖縄のシンボル「首里城」が全焼しました。拙宅はその近隣にあるため、猛火に包まれる首里城が手に取るように見えました。 私は県民として再建を希望しますがここで疑問に思う点を率直に申し上げます。戦前、昭和8年、首里城正殿は国宝に指定されました。名称は「沖縄神社拝殿」です。ご祭神として琉球王の始祖とされる源為朝公、その子の舜天王、以下歴代王をまつったのであります。 ところが戦後これらご祭神は約1km離れた公園に所在する小さな祠に移され、最近は首里城正殿前広場(御庭)では例年、中国冊封使による琉球王冊封儀式を再現するようになっておりました。 このイベントで琉球王に扮する役者が「三跪九叩の礼」を演出するのです(現在は簡略化されて叩頭は省略)。しかし場内アナウンスはこれを「中国最高の儀礼」と強調します。県民の心の故郷であります首里城正殿前でこういうことをするため県民は中国に対する警戒心を持たなくなるです。 今後、首里城が再建されるなら、本来の姿、為朝公などのご祭神にお戻り頂いて、日本人の原点に首里城の空間を戻すべきと思いました。ちなみに戦前戦後、旧家の長男の名前に「朝」の字が使われておりました。これは為朝公にあやかろうとする県民願望の帰結でありました。【以上コピペ】

 へえー、首里城正殿は、もともとは神社やったのに、それが戦後はよそに移されて、逆に正殿の場所で「中国」に対して跪くような儀式が行われるようになった、という話ですね。あかんやん。恵さんが書いてはるように、「沖縄神社拝殿」にして、戻ってもらわなあかんな。

 そしたらツイッターで、いつも沖縄の基地反対派の動きをリアルにツイートしてくれてはるボギーてどこんさんが、やはり同じようなツイートをしてはりました。

 <首里城の昔の写真を引き合いに出して、この姿で復元すべきという意見もありますが、私はそうは思わない。わざわざこの姿で復元するより、新しい時代、令和の首里城として現有技術の粋を結集し再建、百年後二百年後への遺産とすべき。問題視すべきはそこで行われるようになった屈辱的な儀式である。>

 <首里城正殿前にて、中国冊封使による冊封儀式が行なわれ、中国人使者に琉球王が三跪九叩の礼をする儀式が最近から行われています。>

 沖縄はホンマにややこしいところやから(あ、他意はありませんよ)、論点を絞って話をせんといくらでもテーマはあるんやけど、ネットでちらほら出てるのは、亡くなった翁長前知事の時に造られた「龍柱」の話ですね。

 これは、3億円の巨費をかけて建造したもので、発注先は「中国」福建省?の業者で、龍の爪の数は、「中国」に冊封されていることを表す4本になってるとか、完成してすぐに土台の部分にひび割れが見つかって修理したとか、もう怪しげな話が満載の、いわくつきの建造物です。

 かなり古い記事を見つけたので貼っておきます。

 <「4本爪」の龍柱を誰のために建てるのか? 揺れる普天間移設 テント村住民の正体は…>

 もちろん、地理的に大陸に近いから、沖縄は大昔から交流はあったけれど、あくまで沖縄は日本、縄文時代の遺跡も土器もちゃんとある、ということを知っておかなあきませんね。それでも最近はどんどん呑み込まれて行きそうな感じがして、何か怖いですね。ネットではいずれチベット、モンゴルみたいになるんや、と多くの人が言うてますし、百田さんの「カエルの楽園」はそれに警鐘を鳴らす小説やったんですよね。

 あともう一つ、今はほとんど見かけんようになった二千円札には、守礼門が選ばれた、と。これは「中国」様の使節をお迎えする門やのに、なんでこんなもんを日本の紙幣に使うんや!という話も、当時はあったようですね。ん?できたんは平成12(2000)年か。あー、そりゃー私が「覚醒」するずっと前の話やわ。残念。

 「中国」の人たちは、50年、100年単位でも侵略することを考えられる人たちですからね。お花畑の日本人、もうちょっとしっかりせな危ないやん!

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ナニワの激オコおばちゃん

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