十七条憲法<背私向公は臣の道なり>。今の日本の官僚には期待しても無理なんかな。悲しいな。

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 自民党を「中から変える」という強い意志を持って、安倍首相からの直々の依頼(のはず)を受けて、参議院議員に当選しはった青山繁晴さん。毎日、ブログでその苦闘を綴ってくれてはります。今朝(6/29)は「総理の資格」として、けっこうギクっとする話を披露してくれてはります。

きのう6月28日の日曜、現職閣僚のおひとりに電話し「現在の政治は、いつも『できない理由』を探すという誤りに陥っています」と申しあげました。

 たぶん、海外在住邦人への一律10万円支給の話やと思いますね。

 それは直接交渉をしているときは、「良く分かった。前向きに考えましょう」と仰っている人にこそ、裏では「あれは駄目だよ」、「難しいね」と囁いている人が居るという事実です。

 ははーん、大いにありそうな話やな。誰やねんそれ、と、下世話な私は聞きたいですが(笑)。

 ぼくは安倍晋三総理と、意見の違いが多くあります。
 しかし安倍総理には、こうした「直に仰ることと、他の人に仰ることが違う」ということがありません。

 へえー、やっぱり安倍ちゃん、裏表がないやんか。青山さんは、それが総理の資格や、と言うてはります。トップになる人、国を代表する人は、そうでないとあかんわなあ、と思いますね。そしてこの後に、青山さんの思いが炸裂しています。

 それにもかかわらず資源の無い敗戦国なんだと国民を欺 ( あざむ ) くことから利権を得ている、たとえば「戦勝国アメリカに仲介していただいて高い資源を中東の独裁者から買っていればいい。これまでそれでやって来たんだから」と旧来の経済構造を続けるよう仕向けて、国民に資源の輸入代金を背負わせ、日本を真の独立国ではなく従属の国にとどめています。

 私が「覚醒」し始めた頃に青山さんのことを、それこそ地上波テレビで知ったんですが、その時は「メタンハイドレート」のことをやってはりました。日本の国からは資源が出てきたらあかんのや、というプレッシャーがものごっついあることは、当時から何となく理解できました。

 そうです、世界は邪悪なんや。世界一民度が高くて、清潔で、勤勉で、国民の一体感があって、お互いが譲り合うことを知っている上品な国民が、資源を自給できてしもたら、もう日本の一人勝ちになってしまうやんか。せっかく先の大戦で打ち負かしたんやから、まだまだ自立させんと、美味しいところを吸い尽くさなあかんのや、というわけですね。

 そしてそのままでいることの方が、自分の利益になる、政府高官やら政治家がいっぱいおる、ということですね。暗澹とした気分になりますね。

 そしたら今日(6/29)の産経新聞の「正論」に、東京大学名誉教授の小堀桂一郎さんが寄稿してはりました(「国家の守護神」思想を再考する)。今日、6月29日は、靖国神社御創建記念日なんやそうです。知らんかったな。昨年は創立百五十年の記念祭も実施されたそうです。

 私はずっと大阪の人間やったんで、盂蘭盆(うらぼん)の時期に行われる靖国神社の「みたま祭り」というのも知りませんでした。今年は武漢肺炎のせいで中止なんやそうです。戦後に始まったお祭りですが、中止は初めてやと。そこでこの機に、このお祭りの「本来の在り様と意味」について考えてみよう、という話を、めっちゃ格調の高い文章で書いてくれてはります。

靖国神社が祀(まつ)る所の御祭神は、本欄でも一度ならず論及した如く嘉永6年以降国事に身を奉じて落命した二百四十六万余柱の英霊で此(これ)を国家の守護神と見做(みな)す。

 ホンマはこういう話は教科書に書いて教えなあかん話やのになあ。今の文科省、日教組では考えられへんな。そして「みたま祭り」に集う日本人は、今もちゃんとわかってるんやと、私ら日本国民のことを前向きに書いてくれてはります。

 教育勅語の中の<一旦緩急あれば義勇公に奉じ>の定言は、敗戦と被占領の騒擾(そうじょう)の中で愚かにも国民の倫理教育の綱領から排除されてしまつたが、多くの国民の胸裡(きょうり)には今も立派に生きてゐる。何しろその言葉は7世紀の初頭に聖徳太子が十七条の憲法の中で説かれた<背私向公は臣の道なり>のお訓(さと)し以来、千四百年に亙(わた)り日本人の国家意識の骨髄を形成する理念になり果(おお)せてゐたからである。

 教育勅語は今の教育では教えませんが、十七条憲法は歴史では習うたはずやなあ。せやけど<背私向公は臣の道なり>は、たとえ読んでたとしても、意味はようわかってへんかったと思いますね。官僚は「私」を捨てて「公」につけ、という話。聖徳太子の時代からこれが当然と考えられてた、ということやんか。日本、スゴいな。

 ここで、上で青山繁晴さんが書いてはったことと繫がりますね。今も昔も、「公」に尽くすというのは立派な日本人の行いやったけれど、なかなか全部の人ができるとは限らへんということですね。

 ま、人のことはええやんか。自分にできることで「公」に尽くせるようなことはきっとあると思うて、これからも私は、ぎゃーぎゃー言うていくことにします。

【文中リンク先URL】
http://shiaoyama.com/essay/detail.php?id=1908
https://special.sankei.com/f/seiron/article/20200629/0001.html

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