満洲事変は侵略とちゃう、悪かったのは現地のヤクザ軍閥。基本は今も同じ。気い付けや岸田君。※訂正


 私は自らが「覚醒」してからは逆に、新しいことを知るたびにいかに日本人が、いわゆる「自虐史観」に染まり切っているのかを、嫌というほど知ることになりました。「南京虐殺」や「『従軍』慰安婦」はウソやと、だいぶ知れ渡っては来ましたが、「満洲事変」についてはまだまだですね。

 当時を生きていた人にとっては、満洲事変は侵略でも何でもなくて、日本が合法的に獲得した支那大陸での権益を、非合法の政府もどきのヤクザ(軍閥)の妨害から必死になって守ってただけの話ですね。

 せやけど一方では、当時の日本政府のまるで今の岸田政権とそっくりの、支那とはなるべくもめ事は起こさんように、穏便に済ませようというアホな方針があったために、関東軍が勝手に「暴走」した、という話にしてしまいたかった連中もおったから、余計に話がややこしくなってるわけですね。

 そんなややこしさに乗じて戦後、とにかく「日本が悪かった」とするために、GHQは全力を上げて歴史の書き換えを命じたわけですね。二千年前の秦の始皇帝がやった「焚書」を、20世紀のアメリカのGHQが日本でやったということを私が知ったのは、「覚醒」してからでした。「焚書」は知らんかったけど、昭和8年生まれの私のお母ちゃんが、戦後すぐ学校で、毎日教科書にスミを塗っていた話はホンマに聞きましたよ。

 その当時は、「そうか、戦前はウソを教えられてたんやな」と理解していました。あー残念。話が全く逆やったわけですね。日本人て、そんなアホなんか?と嘆かわしい気持ちになりますね。せやけど結局、ウソをつくと、つじつまの合わへんことがいっぱい出て来ることになるわけで、そのためにこそ、西尾幹二さんらがやってはる「GHQ焚書図書開封」は、有難い作業ですね。

 そして、元一般?の人でもブログで発信してはりました。前から知ってはいましたが、「歴史逍遥『しばやんの日々』」さんです。

通説では封印されている重要な史実などを拾いながら、真実はどこにあるのかを自分なりに考えるブログです。

 「しばやん」さんの守備範囲?はめっちゃ広そうです。今月12/5の記事(満州事変の前に何が起こっていたのか~~『少年満洲事変と上海事変』(GHQ焚書)を読む 1)では、実は何と満洲事変に関する本は、ことごとく「焚書」に遭うてることがわかってるんやそうです。しかも。

 本のタイトルから判断して満州事変に関する本は30点がGHQによって焚書処分されているのだが、そのうち「国立国会図書館デジタルコレクション」でネット公開されているのは3点のみで、9割がデジタルデータ化されていながらネット非公開である。

 おいおい、国立国会図書館がいまだに焚書に協力してるんかーい!な話ですね。何となくわかるような気がしますね。GHQによる「公職追放」って、20万人もおったんですね。せやから空いたところには、共産主義者やら、仕事のでけへん連中や、裏切り者がいっぱい入ってきたことも推測できますね。

 もうちょっと「満洲事変」について見てみます。この『しばやんの日々』さんは、今、何となく定説っぽくされてしもてる「満洲事変」のきっかけとされてる関東軍の自作自演説について、次のように書いてはります。

満州事変の発端となった柳条溝事件は、当時の日本側の記録では満鉄線路を爆破したのは支那兵であったと明記されており、その後日本軍が中国軍から攻撃を受けたことが書かれているのだが、その点については中国側も反論しておらず、東京裁判でも問題にされなかった。
 ところが昭和30年に発行された雑誌『別冊 知性』の12月号に、元関東軍参謀の花谷正の名前で「満州事変はこうして計画された」という記事が掲載されたことが契機となって満鉄線路を爆破したのは関東軍の自作自演であると歴史が書き換えられていったのだが、この雑誌記事は当時23歳であった東大生・秦郁彦が本名を伏して花谷の手記として発表したものである。しかも関東軍の指導者であった板垣征四郎や石原莞爾らは物故していたので、その裏付けも取れていない。

 ええーっ、秦郁彦かいな。この人はめっちゃ、うさん臭い人です。唯一、認められてる点は「1992年3月、済州島において慰安婦狩りをおこなったとする吉田証言について現地調査を行い、そのような事実が存在しなかったことを明らかにした(Wikipedia)」ことだけですね。

 結果的に日本を貶めるような話ばっかりしてはりますね。恥を知れ、と言うときましょう。こうやって何が焚書とされたんかをしっかり見て行き、非公開にされている部分も全部、表に出してつないでいったら、戦前に明らかになっていた事実がくっきりと浮かび上がって来る、というわけです。

 せやからこそ、戦後ウソで商売して来た奴らが、今でも隠しておきたいわけですね。あー汚らしい。ホンマの話をしっかり見て行ったら、満洲って、当時の世界最先端やったんですね。エレベーター付きの百貨店やら、冷暖房完備のオフィスビルがいっぱいあったとか。

 とにかく「日本は侵略戦争を始めた悪い国」という誤った認識を、何としてでも潰して行きたいですね。そのためにも今、二度と同じ間違いはせんように、何も決められへん、どう見ても媚中姿勢の岸田政権を、しっかり糾弾して行くことにしましょう。

【訂正(12/16)】私のお母ちゃんは昭和8年生まれでした。5年はお父ちゃんです(笑)。

【文中リンク先URL】
https://shibayan1954.com/
https://shibayan1954.com/degital-library/ghq-funsho/manchurian-incident-1/


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ナニワの激オコおばちゃん

コメント

  1. 中条 薫 より:

    リットン調査団の報告書がネット上に公開されています。是非ご覧ください。
    それによると、「侵略したのではない」旨の記載があります。

  2. ナポレオン・ ソロ より:

    >>満州事変は勿論侵略ではない
    何度も書きますが、裡の母方は満州大連からの引揚者で、それこそ私が小学校に上がる前から、満州事変の話は飛び交っていましたね、何故なら、昭和30年に引揚者に対する清算として一世帯30万円のお金が支払われ、晴れて正式な日本人に復籍出来たのですから、其処に至る迄にいろいろ議論があったと言う事なんですね

    聞いていてもちんぷんかんぷんでしたが、人名や地名は頭に残っていて、河本大佐だの張学良だの柳条湖だのは、小学校の高学年になったら、授業で出てきたので図書館で本を借りて母や祖父が何について、こ
    口角泡を飛ばしていたのかが、色々解りました。

    とはいえ、元は満鉄の社員だった祖父も、港湾清掃会社を設立して大儲けした財産が敗戦で全て水泡に帰したのですから、彼らの人生重要な部分を占める「満州」が清算され消えて終ったわけで、残念でいったら、強い思いがあったのでしょうね。

    そう思って私が本で読み齧った事をいったら、祖父は喜んでいましたが母がめちゃくちゃ怒って「あんたに何が分るの?生意気なこというな!!」と叱られた事を覚えていますww

    今は昔、祖父も母もとっくの昔に亡くなっていますから、なんであの時あんな反応になったのか聞けませんが、満州事変が起った昭和6年は、母は7~8歳で今でいう小学1~2年生なので、事件が直接一家の身の上に影響したとは考えにくいですが、祖父の仕事の面で色々あった
    のかもしれません。

  3. しばやん より:

    読んで頂いただけでもありがたいのに、拙ブログの記事の紹介までしていただき本当にありがとうございます。おかげさまで、多くのアクセスをいただき感謝感激です。

    戦後GHQにより7千冊以上の本が焚書処分され、戦後の日本人に読めないようにされていましたが、国立国会図書館の蔵書のデジタル化が進んで、3割以上のGHQ焚書がネットで読めるようになっています。その内容を少しずつ読んでみたい衝動に駆られて、気になる本を少しずつブログで紹介させて頂き、どのような史実などが戦後の日本人に隠されてきたかを少しでも伝えることが出来ればと考えています。

    『少年満洲事変と上海事変』は昭和11年に出版された青少年向けの書籍ですが、とても詳しく分かりやすく書かれています。戦前の日本人の方が現在よりもはるかにレベルが高かったことがわかります。

    これからも、GHQ焚書の紹介を続けますので、時々覗いていただくとありがたいです。