戦後日本を分割から救ってくれた英雄、樋口季一郎に光を当てよう。今、日本には軍人が必要なんや。

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 私は「覚醒」してもう、10年ぐらい経つと思います。恥ずかしい話、一応「日本現代史」を専攻してたというのに、「覚醒」前は、樋口季一郎のことは何も知りませんでした。今日(8/2)の産経、正論の「歴史に隠れた樋口中将の功績」(ノンフィクション作家・早坂隆)ですね。

 樋口季一郎の功績を伝える記念館が北海道の石狩市に開館したのは令和2年。4年には、淡路島の伊弉諾(いざなぎ)神宮に銅像が建てられた。さらに5年、鎌倉の円覚寺に顕彰碑が建立された。私が彼の評伝を書くために国内外で取材を重ねた約15年前、樋口の存在を知る人はほぼいなかった。隔世の感を禁じ得ない。

 ようやく光が当たり始めた、というわけです。第二次世界大戦後、世界は「東西」に分断されたんですよね。ドイツ、朝鮮半島、ベトナムは、普通に学校で習いますね。実は日本もそうなるはずやったのに、はっきり言うてこの樋口季一郎さんが戦ってくれはったから、日本は分断されずに済んだんや、という話です。

 今も日本人のほとんどは「8月15日」に日本は降伏し、ぴたっと戦争は終わった、ぐらいにしかか考えていません。実は修羅場はそこからも始まってたんですね。あの(今も昔も)ウソつき国家、ソ連が北海道を獲ろうと考えて攻め込んで来た「占守島(しゅむしゅとう)の戦い」が始まったのは、8月18日です。

 この時、北海道や千島列島などを作戦地域とする第五方面軍の司令官が樋口だった。すでに日本は国家として敗戦を受け入れている状況にあったが、樋口は占守島の守備隊に対して次のように打電した。「断乎(だんこ)、反撃に転じ、上陸軍を粉砕せよ」。樋口はこの戦いを「自衛戦争」と見なし、徹底抗戦を命じたのである。
 結果、島内では熾烈(しれつ)な戦闘が繰り広げられたが、日本軍守備隊は果敢に戦いソ連軍の進軍を阻止。日本軍優勢のまま、21日に停戦が成立した。スターリンは当初、占守島を1日で制圧するつもりだったが、その計画は完全に瓦解(がかい)した。このような動きを受け28日に米軍が北海道に進駐。トルーマンはスターリンに対して「ソ連の北海道占領を認めない」と伝えた。

占守島の戦い Wikipedia

 実はこんな計画もあったんや、という絵も出回っています(知っていて欲しい「戦後日本の分割占領計画」 — 山口 俊一)。

 あ、ちょっとそれますが、ソ連に日本進撃を許し、手助けしてたのはアメリカですからね。林千勝さんが証拠付きで話してはります。「北方領土問題」は、実はソ連とアメリカの合作なんです。解決するはずがあらへん。

 で、樋口季一郎さんは自分の判断で「徹底抗戦」を命じたんですね。日本軍は強かったんです。アメリカも優しいわけではないから、ソ連にはせっかくチャンスをやったけど、そこまでやったな、ということで、実質的に日本はアメリカだけに支配されることになった、と。

 せやから実は樋口季一郎さんは国家を守ってくれた人やんか、というわけですね。昭和45年まで生きてはったんですね。せやけど戦後、日本の軍人は徹底的に貶められ、正当な評価がされてへんかった、というわけです。

 ちなみに「日本人によるユダヤ難民救出」と言えば、杉原千畝の名前がすぐに出て来ますが、実はその2年前に、当時、ハルビン特務機関長だった樋口季一郎が自分の判断で、臨時の特別ビザを発給するよう、満洲国外交部に指導したんやそうです。そしてこれを決裁したのは当時満鉄総裁の松岡洋右やったんです。「オトポール事件」ですね。

 杉原は外務省、樋口は軍人です。そういうことです。それでも最近ようやくテレビでも触れるようになってきました(もう一人の杉原千畝…多くのユダヤ人を救い「ゴールデンブック」に記載される樋口季一郎)。いやいや、樋口さんが先やってんで、という話ですね。

ハルビン特務機関長時代の樋口季一郎陸軍中将(樋口隆一氏提供)

 戦前の日本人は立派な人が多かったんや。現場で、自分の責任で判断をして指示命令ができたんや。特に軍人は、現場でオロオロしたらあかんからな。翻って今の日本の政治家は、ホンマに目を覆いたくなりますね。誰も責任を取らへん。何もかも人任せ。言われるがまま。

 やっぱりそれは、軍人がいなくなったことが原因やと思いますね。自分の判断一つで、人の命が左右される現場に常におるからこそ、精神的にも強いんやと思います。早う自衛隊は軍にせなあきませんね。

 8月はいろんな意味で戦争の話が出て来ます。日本人、よう考えたら「憲法改正」て、何年言い続けてるんや?という話ですね。それより何でもええから、自衛隊を軍にしろ、と言いたいですね。

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コメント

  1. 寺島 孝 より:

    げきオコ様

    いつも熱いブログを有難うございます。

    樋口季一郎中将、本当に素晴らしい軍人さんですね。感謝の言葉がありません。

    ところで、更に言わせて下さい、とても大事な方のこと。
    東条英機閣下。
    そうほとんどの日本人は彼を極悪人と思わされてきた。私もそうでした。でも事実は全く正反対。
    だからこそGHQ(正確にはGHQを操っていたのがディープステートなんですね)は素晴らしい日本の軍人さんを極悪者に仕立て上げ、本来アメリカに向ける怒りを彼に向けさせた。なんという卑劣な!

    下に、曾孫の東条英利氏の言葉を。

    「ドイツはヨーロッパのほぼ全土を支配下に置くほどの強国で、第二次世界大戦を戦う日本の同盟国。同盟関係が崩れかねない非常事態だった。

    「いったい何をやっているのだ」と言わんばかりに外務省、陸軍省、関東軍内では樋口中将に対する批判の声が挙がり、彼に関東軍から出頭命令が出た。

    説明を求められた樋口は、当時、関東軍参謀長だった東條英機にこう答えた。

    「ドイツは同盟国ですが、そのやり方がユダヤ人を死に追いやるものであるなら、それは人道上の敵です」

    東條はこの回答に大いに賛同。軍部、政府内で樋口の処分を求める声が強まるなか、彼を守り抜き、懲罰を課すことは一切なかった。

    さらに、ナチスドイツ政府に対して「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」と、その抗議を一蹴した。

    東條は、たとえ同盟国であってもナチスドイツの間違った人種差別に対し、毅然とした態度を貫いたのだった。」

    更に私、寺島からひとこと、東条英機氏は言った「日本は独立国であり、ドイツの属国ではない!」
    政治家だけでなく、われわれ日本国民が目を覚まさねばならないのではないか、などと思うのです。

    寺島孝

  2. ふみお より:

    もう一つ頭に入れておいてよいことは、大東亜戦争では陸軍よりも海軍のほうが
    もしろ大チョンボを繰り返した、ということでしょうか。
    このあたりの話は、林千勝さんの著書にも出ています。

  3. ナポレオン・ソロ より:

    240804-1 樋口季一郎なんて軍人、覚醒する迄知らなかった
    今晩は ソロです。 只今帰って参りました。
     そりゃあそうでしょう。小学生の頃から軍国少年だった私も、樋口さんの話は高校生になる迄知りませんでしたが、母方の一家は、戦前は満州の大連市に居たので、日本に帰って来たのも、昭和22年だったそうで、其れ迄部下の満州人の苦力(く-り-)頭の家の2回に匿われて打居tらそうです。

    一家の5人の子供の裡、4人迄が妙齢の女の子だったので、止むを得なかったと言って居ましたすると、案の定、戦後直ぐに帰国船で帰って来た、人達は港でロシアのラ-ゲリ(囚人兵)に女の子を連行されて、強姦され、真出や福岡には、堕胎専門の収容所があったそうです。なので、西洋人の血が入って置いた祖父は、殊の他嫌われたそうです。

    祖父さんは向こうで、皆との清掃の仕事で一旗揚げて、かなり裕福な生活をしていたので、日本に帰る時も、朝鮮銀行券で3万円以上持って帰って来たか、終戦で紙切れになって終い祖父さんは毎日庭に穴を掘って、お金を燃やす落魂の日々を送っていたそいう
    こうして、意図歴に隠された連合軍にとって不都合な話は、全て、蓋をされているので、戦後生まれの我々の世代の連中の中には、戦前日本は極悪な帝国で、シナ・朝鮮を侵略しまくって居た等と言う連合軍の大嘘をその儘信じている愚か者も多いですね。

    まぁ、ハザ-ル人も白人ですから、ハッタリやシナ朝鮮とどいうレベルの法螺話も、多いし、彼らの復讐は、今のハマスの不意打ちに依って出た1200人の死者に対するガザへの報復で、4万人を超す犠牲者を出していても止めないのを見れば一目瞭然ですよね。

    此れは日本の真珠湾攻撃で軍人だけで死者2000人なのに、報復で325万人の民間人・軍人の死者を数えているのと同じですね。それに元々英米は昭和12年の日華事変の黒幕だし、後から分かった事ですが、蒋介石軍に武器を供与し、軍事訓練をしていたのは、軍事同盟を結んでいた筈のナチス・ドイツンなのですから、呆れますよね。信義等有りませんね。

    扨、樋口さんですが、昭和20年8/15にポツダム宣言を受諾好いたのと同時に、全せっの兵士を武装解除を行い「此れで戦争を終
    えてに帰れる」と思っていたら、港で日本行きの船に乗る筈が、一向に着かないので心配していたら海が見えたので、「日本海だ」と思ったら、バイカル湖だった、と言う笑えない話があります。 

    私の知人は、そのバイカル湖の更に奥地の冬は冷夏40~60度にもなる、鉄道工事のげんばに10年間も行く竜され、強制労働を強いられましたね、結局、60/600万人の兵士が病気や事故、栄養失調で亡くなって居ますが、ロシアgから、詫びの一言も有りません。

    野蛮なのはロシアでダケでなく、連合軍全てが病院を襲撃したり、病院船を雷撃したり、捕虜を飛行機から突き落としたり、正に遣りたい放題しているのに「勝ったものが正義だ」と言って居るのですから、、何処が人道主義なのか? 当時の人間は既に無くなっているので、今更復讐でもないが「決して忘れてはイケナイ事ですね。