バカだチョンだのどこが差別や?言うてみNHK。あんたらが騒いで恫喝に利用されてるだけや。

 私は録画で観たんですが、ナマで観てはった人はぶったまげたでしょうね(笑)。ノーベル化学賞を受賞しはった吉野章さんに、NHKが10月10日の番組「クローズアップ現代+」でインタビューしたときの、吉野さんの発言です。リチウムイオン電池開発の過程で、なかなか上手く行かへん時でも研究を続ける苦労話をする中で、周りからは「バカだチョンだ言われながらも」頑張って、ついに成功した、と生放送で発言しはりました。

 司会でインタビュアーのNHKの武田真一アナウンサーが、吉野さんの発言が終わってすかさず、「今『バカだチョンだ』という不適切な表現がありました」と言い、隣に座る吉野さんが「すみませーん」と答えたというやり取りでした。ネットではちょっとした騒ぎになってます(動画あり)

 吉野さんが言うたのではなく、そう言われたという話や、という人もいれば、あの年代の人は今でも普通にそれを平気で言うてることがわかった、という人もいました。でもたしかに、私は吉野さんよりずっと下の年代ですが「バカチョンカメラ」が大ヒットしたことも知ってますし、CMでも普通に言うてたことも知ってます。いつから言うたらあかんことになったんかな、と思てWikipediaで「バカチョン」を見てみました。

 <「ちょん」とは「『半人前』や『取るに足らない人』のことを、芝居の終わりに打つ拍子木の音になぞらえた言葉」であったとされる。「大辞林 第二版」は、「ちょん」の用例として、近世の明治時代の小説、「西洋道中膝栗毛」から、『ばかだの、ちょんだの』と言う記述を引用している。>

 <これが転じて、戦後、日本国内のメーカーが発売した、オートフォーカス機能を搭載したコンパクトカメラの広告のキャッチコピーとして用いられた。>

 さらにWikipediaでは、1990年代に<左翼系の者が「バカチョン」を「馬鹿な朝鮮人(韓国人)でも」という意味であり差別表現であると主張>し始めてから状況が変わっていき、今では放送禁止用語となっている、と書いてあります。

 <1992年には、西村京太郎作品に「バカチョンカメラ」という表現があると、全国在日朝鮮人教育研究協議会(現全国在日外国人教育研究協議会)が抗議したことにより光文社と講談社発行の書籍が回収され、改訂版で謝罪文を掲載した。>

 <1980年代中ごろまでは「馬鹿でもチョンとシャッターを押せば撮れる」という解釈が優勢であったが、辻元清美が『朝まで生テレビ!』で「『ばかちょんカメラ』とは『馬鹿でもチョンコでも撮れるカメラ』のことで、『チョンコ』とは朝鮮人のことだ。」と発言したことにより、「馬鹿でも朝鮮人でも撮れる」という解釈が全国に広まった。>

 うひゃあー、こんなところにも辻元清美さんが活躍してましたね。結局そういうことやんか。こちらにその意図がなくても、「差別や!差別や!」と騒いで恫喝することで、自分らの優位性を確認して満足感を高め、結果的には自分らで差別意識を固定して、分断を増幅していく、ということですね。

 一方でこれは、言葉狩りの問題にもつながりますね。「バカチョン」の話に戻ると、「ちょん」はもともと半人前という意味やったわけで、それを朝鮮人のことや、と誰も言うたわけでもないのに、何となくそうやなあ、とどうも一部の人たちが思い始めてしもて、「ちょん」は朝鮮人のことをバカにしていう言葉や、と邪推する人が出て来てしもた、というわけですね。

 なんでそう思われてしまうんか、という話はすっ飛んでしもてますね。たとえその言葉を禁止したところで、絶対にそう思われてしまう状況は変わりませんからね。「ちょん」を「めくら」「つんぼ」「おし」「かたわ」「ちんば」「びっこ」などと同じように、「放送禁止」とすることで、世の中がより明るくなるんやろか?

 今、欧米では公共の場で「メリークリスマス」と言うたらあかんそうですね。禁止にすることで宗教上の差別がなくなって、欧米はより良い社会になってきたんやろうか?これはいわゆる「ポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)」の話にもつながりますね。この話はめっちゃテーマが大きいですからとても論じきれませんけど、私は絶対に間違うてると思いますね。

 言葉というのは当たり前ですけど、前後の関係やら、言う場所やら、交わされる当事者の間柄とか、いろんな要素が絡み合って成り立つもんですからね。切り取って「禁止」とか言うても、何の意味もありませんね。いや、別の意味が発生してしまう、ということですね。あーめんどくさ。

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ナニワの激オコおばちゃん

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