バレンタインデーはパレンバンデー。日本軍は勇敢で強かった。今も昔も現場は優秀、上はアホやな。

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 今日はいきなり産経新聞の記事のコピペから入らせていただきましょう(2月14日はパレンバンデー オランダ倒した「空の神兵」)。有料の音声記事?のようです。

 2月14日はバレンタインデーですが、「パレンバンデー」でもあります。先の大戦初期の昭和17年2月14日、オランダが植民地支配していたインドネシアのパレンバンを日本陸軍の落下傘部隊が奇襲攻撃し、製油所と飛行場をほぼ無傷で手に入れました。
 落下傘部隊を歌った軍歌「空の神兵」は今も歌い継がれています。「空の神兵」顕彰会(奥本康大会長)は毎年、パレンバンデーにちなんで講演会などを開いています。(渡辺浩)

戦時中の出版物に掲載されたパレンバン空挺作戦の写真(国立国会図書館デジタルコレクションから)

 私は「覚醒」してからこの話を知りました。日本軍は戦争で悪いことばっかりしてたと教えられ、結局負けたんやから、余計に戦争、戦闘の話が大嫌いでした。この年になってもまだ、かつての先生を恨みたいですね。ようそんなウソを教えたな、と。

 この攻撃の2か月少し前に真珠湾攻撃があったわけですが、実は元々はこちらの作戦、つまり、まずは南方に出て石油を押さえ、インド洋に出てイギリスの補給路を断つ、というのが大戦略やったわけですね。真珠湾攻撃さえなければ、アメリカは参戦できずに、あっという間に日本はイギリスに勝てたはずやったんです。

 自らの功名心のために真珠湾攻撃をした山本五十六は、天下の愚将やったんです。チャーチルは戦後、もし日本が定石通りに戦っていれば、ヤバかった、と言うてたそうです。しかもアメリカのルーズベルト大統領は、連合艦隊がハワイに向かってることを、事前に知っていたんですね。アホらし。

 パレンバンの話に戻ると、降り立った陸軍の空挺部隊(落下傘部隊)は、

 持っていた武器は拳銃と手榴(しゅりゅう)弾のみ。機関銃や小銃は別途、落下傘で投下しましたが、ほとんど回収できずに敵と戦わなければなりませんでした。隊員たちは340人、守るオランダ軍は1200人で、日本軍は圧倒的に不利でしたが、奇襲作戦が成功して、翌日までに製油所と飛行場をほぼ無傷で手に入れました。

 ひえーー。そりゃあ、英雄になるわな。

戦時中の出版物に掲載された、出撃前の落下傘部隊の写真(国立国会図書館デジタルコレクションから)

 インドネシアには、「白い人々からの支配は長く続くが、白い衣を着けた黄色い人が空からやってきて、白い人々を追い払ってくれる」という伝説が昔からあって、そのとおりやった、と言われているそうです。日本軍がジャワ島に上陸すると、オランダ軍はわずか9日で降伏したそうです。

 最初は強かった日本軍ですが、最終的に戦争に敗れ、オランダ軍は再びインドネシアに攻め込みました。しかしインドネシアの人たちや残留した日本兵が戦い、独立を勝ち取ったのです。

 これこそが、大東亜戦争の「大義」やったわけですね。日本は世界史を変えたんや。どうせ負けたんやから意味がないとか言うなや、という話です。たまたまでしょうが今日(2/14)の産経「正論」で、元空将・織田邦男さんが、「自虐教育は日本の没落を招く」と書いてはりました。

 織田さんは昔、アメリカの空軍大学に留学した時、同じ留学生のイギリス人に、「アヘン戦争」はどう教えているのかと聞いたら逆に、なんでそんな(不名誉な)ことを教えなあかんねや、と言われたそうです。そしてちょっと長いですが、最後の2節をコピペさせて貰います。

 国際連盟事務次長を務めた教育者、新渡戸稲造は米国で名著「武士道」を著し、日本人の高邁(こうまい)な精神を紹介した。美術史家、岡倉天心はニューヨークで「茶の本」を出版し、日本の伝統文化について広く紹介した。かつて日本人は日本に対する誇りを持ち、強烈なアイデンティティを保持していた。海外で優れた日本の文化や伝統について紹介し、命懸けで日本のために情熱を燃やした。報道のような自虐教育が続けば、日本に誇りを持つ日本人は育たない。

 欧米にこんな言葉がある。「英国人を自慢しているやつは英国人だ。ドイツの悪口を言っているやつはフランス人だ。スペインの悪口を言っているやつはスペイン人に決まっている」。かつて世界を席巻したスペインはなぜ没落したのか。子供たちに対しスペインはインカ、マヤを滅ぼした悪い国だと自虐教育を続けた結果、スペイン人から誇りが消えた。これが没落の主因だという。決して人ごとではない。

 新渡戸稲造、岡倉天心、、、。明治の日本人は立派でしたね。戦後ずっと土下座外交しかしてへん外務省。このままではあかん。今日のYouTube動画は「支那と呼んだらあかんのか?そのうち「中国」人と呼ぶなと言うて来るで(笑)」でした。日本はもう、アメリカにも「中国」にも媚びへつらうてるだけではあかん、と声を上げて行きましょう。

【文中リンク先URL】
https://www.sankei.com/article/20240213-I7HKSDQG25DGVAZ4ISH3SFXJDI/?920470
https://www.sankei.com/article/20240214-JLYXS7OMPVIIPB2SHJJZBPKRCM/
http://www.kamit.jp/15_kosho/26_tenshin/xcontents.htm

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コメント

  1. 波那 より:

    新渡戸稲造氏の「武士道」はBushido: The Soul of Japanとして英語で著され対訳された本で読んでるのですが、武士道の観念とか心意気がもう掴めなくなってしまってる現代の日本人には立派に翻訳された日本語より英語の解釈の方が意味が分かったりします。ゴロンと横になって読むような本ではない、居住まい正して読まなければと思う位(笑)、日本人が無くしてしまった精神性の真髄を教えられます。元々は日本には道徳を教える宗教がないと西洋の学者に言われて、日本には宗教はないが武士道があると書かれた本です。自虐史観が民族、国家を滅ぼすのは、そのとおりだと思います。だから明治以降、大戦前の近代史を素通りする程度で教えないのではないですか。戦前までの日本人に根づいた日本人に独特な感性、精神性は誇るべきもので欧米人に牛馬の扱いをされ搾取されるしかなかったアジアの民を見て皇室を戴く我々の日本を植民地にされ、日本人にあのような扱いをさせないと戦われ遠く戦地で散華された先人方の一つ一つの大切な命を想い誇りに思います。自分の身を庇うだけで取り繕う事だけに躍起になってバタバタしてるだけの政治屋さんの集団を見てたら、日本を変えるのは政治ではない事が分かるはず。

    朴 鉄柱(韓国 平成二年一月逝去・六十八歳 、韓日文化研究所 昭和四十二年十月)

    「ソウルから日本を眺めていると、日本が心という字に見える。北海道、本州、四国、九州と、心という字に並んでいるではないか。日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に断絶がない。それに対して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくして見る事は出来ない」

    そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑む事は屈辱を意味した。

    事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし、というのが、開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。

    それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争ーこの二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。」

    「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。

    日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、聖なる戦争であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。

    二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである」

  2. 波那 より:

    遠藤さんが「安倍内閣で獲得していた若年層の支持を、岸田内閣になって急速に失い始めています。」と書いていました。
    http://endokentaro.shinhoshu.com/japan/post10373/

    岸田政権は安倍さんが築いたレガシーを余りにも蔑ろにし過ぎて由々しき事態にしてしまいました。コピペですが、そのまま載せます。岸田政権を支えようとしてる謎の勢力ww は、その事を分かっているのでしょうか。

    波那:
    皇紀2684年(令和6年)2月7日 9:55 AM
    ≫安倍内閣で獲得していた若年層の支持を…
    安倍さんを見つけた高校生達が嬉しそうに周りに群がりに来たりね、若いお母さんは赤ちゃんを抱っこしてもらって写真撮ったり、地方では不足していたのでアベノマスクを貰った女学生が安倍さんにハートマーク付けた動画を発信したり、デジタル献花を立ち上げたのは20代〜30代の若者たち…地方から献花に訪れた中学生の男の子は大きくなったら政治家になって安倍さんに会いたかったと泣いてました。子供って自分の事を思ってくれる人が分かるんですよ。あんなに子供達から慕われていた総理大臣は居なかったです。安倍さんが生きていたら、こんなに激しい自民党離れも起きなかったでしょうね。