天皇皇后両陛下のインドネシアご訪問万歳!お札には今も独立宣言の皇紀05年が印刷されてるんや。

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 天皇皇后両陛下におかれては、先週から8日間、ご即位後、初めての外国ご訪問、いや行幸をされました、と。うーん、書き慣れへんから難しいな。外国の場合は行幸とは言わずにご訪問と言うんか?まあ宮内庁自体が怪しいからようわかりません。宮内庁の歴代の長官は、共産党の学生組織である「民青」のシンパ出身者が多いらしいですからね。

 そのご訪問先がインドネシアでした。何でインドネシア?とも思いましたが何と、インドネシアの人口は2.4億人もいるんですね。世界の経済の大きな動きは、支那の次はアセアン(ASEAN:東南アジア諸国連合:インドネシア、カンボジア、シンガポール、タイ、フィリピン、ブルネイ、ベトナム、マレーシア、ミャンマー、ラオス、全10か国)や、という人が多いですね。その筆頭がインドネシア、と。

 日本のマスゴミは単に、いわゆる皇室外交、天皇の国際親善ぐらいの位置づけしかしてへんと思われますし、私も皇后陛下の体調が戻ってはるんやったらええなあ、ぐらいにしか思てませんでした。ところが何と、両陛下が残留日本兵の墓地を訪れて供花された、というニュースに接してぶったまげてしまいました(天皇皇后両陛下 インドネシア「残留日本兵」らの墓地を訪問)。

カリバタ英雄墓地で供花された天皇、皇后両陛下(20日、ジャカルタで)=代表撮影

 これはNHKですが、残留日本兵たちが立ち上げた団体の会長を務めるヘル・サントソさんの話を紹介しています。

ヘルさんたちは、残留日本兵たちが長年発行してきた会報を大切に保管していて「皇族の動向は一番の関心事だったのだろう。両陛下の訪問は日系2世として、誇りと喜びを感じます」と話していました。
一方、残留日本兵は日本側からは逃亡兵や脱走兵とみなされ、1960年代にインドネシア国籍が認められるまで無国籍の状態が続きました。さらに日本がインドネシアを戦時中に統治した歴史から、子孫は「占領者の子ども」などと後ろ指をさされることもあったといいます。
こうした苦難の歴史がある中、父親の上田金雄さんが英雄墓地に埋葬されているハリー・マリヨノさんは「天皇陛下が残留日本兵のことを覚えていてくれて、とても感謝している」と話していました。

 今回、天皇皇后両陛下は、その残留日本兵の遺族ともお会いになったということですね。元々インドネシアは、日本が占領統治する前は、オランダ領の植民地やったわけですね。大東亜戦争が始まって3か月でオランダを追い出して日本の統治が始まった、と。

カリバタ英雄墓地で記帳される天皇、皇后両陛下(20日午前、ジャカルタで)=川口正峰撮影

 日本は戦争に負けましたが、それこそ「目覚めた」インドネシア人はすぐに立ち上がって「独立」しようとした、その独立宣言が、日本の終戦2日後の8月17日になされた、と。そしてその独立宣言の紙は、今もなおインドネシアの紙幣に印刷されています、と(Wikipedia)。

 両側にいる人は、これにサインをした初代大統領のスカルノさんと、副大統領のハッタさんやそうです。そしてこの宣言の日付の年代は「05」、つまり「皇紀2605年」なんです。ひえーー。日本では保守っぽい産経新聞でさえ書いてへん皇紀が、今も生きてるんや。

 あ、ちなみにインドネシアは多民族、多宗教なので、いろんな暦が混在してるそうです。なので、皇紀を表記(併記)している暦も、一般に売られているそうです。日本では失われたものが、インドネシアでは生きてる、と。

 戦後78年、ついに大東亜共栄圏が実現するんか?いやいや、その前に「中国」がヤバいですね。しかも日本はここ30年、アホの財務省のせいで、全く成長できずに押さえつけられてる、と。私ら日本人、今こそ「大東亜」の心意気を取り戻さなあかんのとちゃうか。

 え?大東亜は右翼?ちゃうちゃう、グレートブリテンのグレートとおんなじや。いつまで自虐史観に染まってるんや、日本人もいよいよ立ち上がらなあかんのや、と心を新たにしましょう。

【文中リンク先URL】
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230620/k10014104471000.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E5%AE%A3%E8%A8%80#

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コメント

  1. 波那 より:

    私もインドネシアの旧宗主国オランダとの戦いに残留した日本兵が居た事を報道された事に驚きました。やはり天皇陛下が行幸されると言うのは物凄い事なんですね。2015年の60周年アジア・アフリカ会議(白人国に植民地支配されていた有色人国家の会議)がインドネシアのバンドンで開催された時に安倍総理も招かれ、残留してオランダと戦い散華された日本兵の墓に詣でられたのをマスゴミが一切報道しなかったのを覚えてましたから。

    『10年前に小泉元首相が村山売国談話を踏襲して謝罪したことが、そもそも場違いだった。一部の皇軍兵士は、大東亜戦争終結後もインドネシア・ベトナムで独立戦争に参加し、かの地で散華された。

    今回、インドネシア入りした安倍首相は、真っ先にジャカルタのカリバタ英雄墓地を訪れ、献花した。ここには独立戦争に参加した28人の日本人が眠っている。
    ▽カリバタ英雄墓地を訪問4月22日(地元紙)
    画像

    果たして、この英雄墓地参拝を報じた日本メディアがあっただろうか…大勢居た同行記者団が、全員ランチ休憩だったとは考えられない。独立戦争に参加した皇軍兵士がいることは不都合な事実なのだ。

    【400年の沈黙と36年の悪態】

    「アフリカからもアジアの各国も『よく来てくれた』『日本のおかげだ』と大歓迎を受けた」

    伝説の外交官・加瀬俊一氏は、そう回想する。1955年のバンドン会議に加瀬氏は、外相参与として列席していた。政府が米国に気兼ねし、参加を躊躇する中の現地入りだったが、予想外の歓迎を受ける。
    ▽加瀬俊一元UN大使
    画像

    「日本があれだけの犠牲を払って戦わなかったら、我々は今もイギリスやフランス、オランダの植民地のままだった」

    あの夏、我が国は敗れたが、アジア諸国に「独立の種」を蒔いた。それは数年を待たずして大きく育ち、実を結んだのだ。なぜ、そうした国々に向かって我が国が謝罪をしなければならないのか…
    ▽英雄墓地で献花する安倍首相(官邸HP)』

    • 波那 より:

      安倍総理が両陛下が立たれたのと同じ場所に立っている記事を東アジア黙示録のアーカイブから探して来ました。献花も白と赤の日の丸の花の色です。

      予告された安倍談話の輪郭…アジア愚弄する反日歪曲史
      https://anemonejpn.seesaa.net/article/201504article_6.html
      2015/04/25

      関連エントリ:
      H19年8月22日『大東亜戦争を継いだ男たち…英雄墓地に眠る皇軍兵士』
      も、是非御覧下さい。インドネシアの残留日本兵について詳しく書かれてます。

      『そこに眠る皇軍兵士は、厳格に当時の軍紀に照らせば離脱兵とも捉えられるという。武器を置けとの軍命に逆らい、インドネシア国民の為に敢えて銃を取った者たちである。』

      (ベトナムでは上皇陛下と上皇后陛下がフランス軍との戦いに残留していた日本兵と共に戦ったベトナム人の遺族とお会いになりました)

  2. 日本男児 より:

    天皇・皇后陛下のインドネシア訪問についての危惧・懸念・危険視する私の私見は、例のインドネシア高速鉄道建設問題と無関係ではないと考える。当初、日本製の新幹線を導入する話がほゞ確実視されていたのにも関わらず、インドネシアがこれを裏切りほゞ日本の建設計画をパクリ日本より安い価格でインドネシアがシナ製高速鉄道建設導入契約を結んだ。当て馬の様に扱わられた日本を排除したはいいが、その後シナ製高速鉄道建設費用が更に嵩み最初のシナ製高速鉄道建設会社との契約とは異なる事態に陥り、大幅に建設完成納期が遅れている。正に一帯一路の債務の罠に嵌ったインドネシア大統領が困って、日本の投資を呼び込む為に此度の天皇・皇后陛下のインドネシア親善訪問の機会を利用しようとしている。まあ、当然日本もインドネシア市場への進出も視野に入れての訪問企画だろう。更に、インドネシアは人が良くて騙され易く平和ボケの日本と屈強なシナ共産党帝国とを天秤にかけると言うなかなかの強かさを知らなければならない。日本は、このインドネシアのやり口・手口を当初の新幹線導入交渉の経緯からしっかりと学ばなければならない。天皇・皇后陛下に拠るインドネシア訪問もその手口の一つとして、決して騙されない様にしなければ、対韓国外交からは何も学んでいない岸田愚相なら、何度でも同じ失敗や失策や失政や過誤を繰り返す事間違いないと思う。